胸肩神社

弘前市品川町89 (平成21年7月22日)

東経140度28分53.55秒、北緯40度35分30.77秒に鎮座。

この神社は、弘前駅の南西1km程の辺り、弘前の街中に鎮座しております。

御祭神 田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命・春日大神
例祭日 七月一日
由緒
伝えによると、大同二年 (八〇七年) に坂上田村麿将軍が信仰していた辯才天を大野に勧請し、手馴れの琵琶を奉納のうえ、臣下の名川野妥女正(ながわのうねめのしょう)を神主に命じ奉仕させたのが創建と言われている(安政二年「神社微細社司由緒調書上帳」より)。寛文二年 (一六六二年) に、大野の地が手広となったので、現鎮座地の品川町へ遷座している。社殿の修復費や供米十二石は平賀庄六ケ組(和徳組、堀越組、大光寺組、大鰐組、尾崎組、猿賀組)が奉納し護持運営に務めている。■(土へんに定)町弁天神社、土手一座弁財天神社、又は弁天宮と称され、士族、町民の崇敬篤く、寛永四年(一七〇七年)には信政公門弟の士族により末社春日宮が建立されている。明治六年、胸肩神社と改称し春日大神を合祀している。境内に「■(土へんに定)清水」と称される清水が古くから湧出している。
青森県神社庁公式サイトより。

胸肩神社ご案内
御祭神:胸肩三女神 市杵島姫命・奥津島姫命(田心姫命)・湍津姫命 総称 道主貴大神
合祭神:春日神
御由緒(社伝)
大同二年(807)坂上田村麿将軍、大野という地に弁財天を勧請、弁天宮堂社を建立の上待臣を神主とする。寛文二年(1662)現在地に遷座、平賀庄六ヶ組(猿賀組、大光寺組、尾崎組、大鰐組、和徳組、堀越組)により社殿の造営、供米が奉納される。明治六年胸肩神社と改称するも”弁天さま”と呼び親しまれ津軽一円に広く崇敬されている。
境内由緒書より。全文はこちら。

通称「弁天さま」といわれるように、明治までは、弁天宮と呼ばれた寺院だったようです。多くの弁天宮と同じく、明治政府により名称を変更され、御祭神も宗像三女神に差し替えられたものと思われます。

神社入り口

優しそうですが、やや頼りない狛犬です。拡大写真はこちら。

(昭和12年(1937)旧10月1日建立)

拝殿

本殿

絵馬。どう見ても琵琶を抱えた弁天さまに見えます。辨財天とも書かれる弁天さまは勿論財宝神で福の神様でもあります。御祭神を「弁才天」に戻しても良いのではないでしょうか。

由緒書の 「■(土へんに定)清水」 と思われます。龍蛇神が祀られています。弁天様もこの泉を守る為勧請されたのかも知れません。坂上田村麿将軍云々のくだりは、大同二年という古代の特異年が登場することから、後世の創作と思われます。

稲荷神社

猿田彦大神・庚申塔