小栗山神社

弘前市小栗山 (平成21年7月22日)

東経140度28分56.56秒、北緯40度33分15.53秒に鎮座。

この神社は、弘南鉄道大鰐線・小栗山駅の南西1km程の辺り、林檎畑の中に鎮座しております。読み方は不明ですが住所に合わせて「コグリヤマ」としておきます。

小栗山神社由緒
御祭神:大山祇命・外十一柱
文亀二年(1502)卯月半ば頃左五郎が子重五郎と申す樵夫当村より南方の深山に行き暮れるに及び帰らんと欲せしが途方を失うに於いて思推し大榎の元に自座す。時に夜半四更の頃遙か右の方に光明嚇然とし傍に妙なるかな麗木大石の上に獅子頭一頭座居し身に五色の幕を纏い悪魔降伏の角振り乱し光明を放ち給う。彼の一頭申して曰く「善哉善哉承れ吾当社に在ること年久しく又尋常の人の来る処に非ず。汝我を負い人里に至り尊崇すべくば永く人間を守護すべし」と宣言せり。此処が大和沢領八幡岳なり権現平と言うて今に存す。重五郎彼の一頭を負いて下山し当村の西南の処に一つの草堂を建て安置し給う。この時重五郎社職を主掌し自ら良く祈祷を加持し給う。その時唯権現のみ勧請し給う諸人病症幸福を祈る。実に利益感応在り。この時禰宜如何なる神号にて宜しからんと日夜案じけるが或夜枕辺に立ち託して曰く「吾は天の七星地の主にて五行人間を化育し給う故自今十二所権現と神号すべし」と言い給いければ当國の衆人御神徳を感じ当國の鎮守となる。
これより十二所宮として寛永八年(1732)現宮司清野貞則氏より十二代の祖十二所宮神主与五郎禰宜時に現在地に遷る。明治六年郷社に列せらる。
近郷旱魃の時御神体を八幡岳山頂に祀り雨乞いする時は必ず霊験ありと言う。
境内由緒書より。原文はこちら。

明治迄は十二所権現を祀る十二所宮と称していたようです。十二所権現と言えば熊野だが、熊野三山の御祭神を勧請した神社だったのでしょうか。

不思議なことに、この神社の氏子は岩木山参詣をしないと言われています。伝説によると、三姉妹の神が岩木山の神になることを願っていたが、神楽を見物している間に末の女神が岩木山の神となった。そこで長姉は岩木山の見えない小栗山の神となり、次姉は大坊(猿賀神社)の神になったという。
(他に、津軽地方の支配を争った二神のうち勝った神は岩木山に、敗れた神は小栗山に隠れたとする説などもある)

参道入り口に立つ社号標。林檎畑の看板が気になりますが、2009年8月30日が衆議院選挙投票日。民主党政権が誕生した年でした。

一の鳥居

参道

二の鳥居

参道最後の石段

拝殿

猫顔のユニークな狛犬。拡大写真はこちら。

(明治41年(1908)8月17日建立)

本殿

八幡宮

山之大神 稲荷宮

蓮池に鎮座する厳島神社?(多分)

神楽殿

中央は奉安殿か?