岩木山神社

弘前市百沢 (平成21年7月21日)

東経140度20分38.98秒、北緯40度37分9.03秒に鎮座。

この神社は、岩木山の南東5km程の辺り、百沢温泉の近くに参道入り口があり。そこから北西に伸びる参道を300m程行った辺りに壮麗な社殿を構え鎮座しております。

御祭神 顕国魂神・多都比姫神・宇賀能賣神・大山祇神・坂上刈田麿命
例祭日 旧八月一日
由緒
昔から 「お岩木さま」 「お山」 と親しんで呼ばれ、陸奥津軽の開拓の神、農海産物の守護神、また祖霊の座すところとして崇められている。今から約一二〇〇余年前、宝亀十一年(七八〇年) 社殿を岩木山頂に創建したのが当社の起源であり、延暦十九年 (八〇〇年)征夷大将軍坂上田村麿これを再建し、別に山麓十腰内の里に下おり居ゐの宮みやを建立して、山頂を奥宮と称し、寛治五年 (一〇九一年) 神宣により下居宮を現在地に奉遷。その後、世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、江戸時代には津軽藩主為信・信牧・信義・信政により大造営が行なわれ、近代には崇敬者の熱意を集めて、建造物、諸施設とも整い、名実ともにその偉容を誇り、畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、農業・漁業・商工業・医薬・交通関係、とりわけ開運福の神として、色々の宗派を越え、深い信仰の源として厚く崇敬されている。
青森県神社庁公式サイトより。

参道入り口と社号標

一の鳥居と参道

二と三の鳥居
さらに続く参道

楼門。寛永5年(1628)、下居宮(おりいのみや=麓宮)の別当寺であった真言宗・岩木山光明院百沢寺(ひゃくたくじ)の楼門として建てられたという。この下居宮が、現在の厳鬼山神社。真言宗五山の一つ百沢寺も、廃仏毀釈の嵐の中、あえなく廃寺の運命を辿ったようで、御本尊の岩木山三所大権現は御宮殿(厨子、県重宝)に入れられたまま弘前市西茂森の長勝寺に移されたと言うことです。

楼門前の狛犬。少しだけ招魂社+岡崎形。拡大写真はこちら。

(紀元2600年、昭和15年(1940)8月1日建立)

石段上左右。玉垣の親柱の裏側に戯れる狛犬。拡大写真はこちら。

製作年代は不明なようですが、小栗山神社であった小父さんが言うには、第9代藩主・津軽寧親(やすちか)の時代、私のご先祖がこの石を担いだと聞いています・・・・。だとすれば、寛政3年(1791)〜文政8年(1825)でしょうか。津軽寧親といえば参勤交代の途中、南部藩原理主義者・相馬大作に命を狙われるという、太平の江戸時代では驚天動地の大事件、みちのく忠臣蔵と言われる、「相馬大作事件」を経験した、江戸時代としては結構波乱の人生を送った殿様であります。

中門

中門前の狛犬。拡大写真はこちら。

中門

注連縄と木鼻の象

拝殿

奥門

流石奥の日光と言われる位です。豪華な彫刻。

本殿

白雲大龍神参道

龍神を守る明治の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治27年(1894)旧8月初日建立)

白雲大龍神社殿

龍神池と奉納の玉子

稲荷神社

御神水

社務所。元百沢寺本坊。

岩木山神社奥宮登拝口。明治の神仏分離以前には、岩木山三つの山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称した。明治の世になり寺院が廃されるとともに、神社風に奥宮と改めたようです。