青森縣護國神社

弘前市下白銀町1-3 (平成21年7月22日)

東経140度28分8.25秒、北緯40度36分32.16秒に鎮座。

この神社は、弘前公園の北の外れに鎮座しております。城跡公園の中だけあって眺めも良く静かな佇まいを見せております。しかし、由緒書にあるように、多くの日本人が「英霊」に感謝して欲しいと思います。

青森県護国神社は、津軽藩主津軽承昭公の思し召しにより函館戦争の戦没者慰霊のため、明治三年に創建され、明治四十三年三月に弘前招魂社として現在地に移築、昭和十一年八月青森縣招魂社となり、昭和十四年四月、一府県一社を原則とした内務大臣指定護國神社となったものです。
この神社には、幕末・明治維新以来、日清戦争・日露戦争・大東亜戦争など多くの戦いで、日本の平和と美しい山河や愛する家族を守るために亡くなられた、青森県出身二万九千百七十一柱の方々の御霊−「英霊」が神様としてお祀りされています。
いま、こうして私たちが平和で豊かに暮らしていられるのは、国の危機に際して尊い命を捧げられた「英霊」のおかげであることを決して忘れてはなりません。
青森縣護國神社にお参りし、英霊に感謝の気持ちを伝えましょう。
青森縣護國神社。原文と公園案内図はこちら。

大東亜戦争の敗戦後、護国神社は軍国主義施設と見なされ、存続を図るために名称から「護国神社」の文字を外して地名などを元に改称を余儀なくされたようです。後、サンフランシスコ平和条約を締結し、日本が独立を回復すると共に、元の社名に戻した所が多かったようですが、唯一、青森縣護國神社だけは改称せず「護國神社」を守り通したと言うことです。

参道入り口と社号標

境内入り口

境内

拝殿

本殿

弘前公園の景色