弘前市茜町1-8-1 (令和6年7月16日)
東経140度27分07.81秒、北緯40度35分50.93秒に鎮座。
この神社は、弘前市役所の西南西1.5km程の辺り、茜町の街中に鎮座しております。
御祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命・速玉乃男命・事解乃男命・罔象女神
由緒
文明の頃(1469)如来瀬の地より湯口佐内坂桃村(現常磐坂)に転社し応仁の大乱を承け、久しく類廃し神主も煩心して上都しありしが、津軽藩祖為信公、津軽一統の頃、永禄12年正月(1569)唐内坂往来の諸人馬に乗り通るに皆落馬せるを為信公聞召して、我も行って見んとて御馬にて出で行きしに案の如く落馬し、あらぬ躰にてお帰りになりにぞ。其の夜の御夢想に我は国民を守るといえども誰が国の主とならんと、心を尽しに汝一国の主となるべし我れ末にまで守るべし、今はよき折柄ぞ思い立つべしと御神夢のお告げ有り、軍神として御神影を錦の袋へ奉納、戦場に御勧請せり、後に為信公御自身厨子御神像を奉納袋の宮と称しました。
熊野三所権現の内飛龍大権現と申し慶長19年(1614)二代信牧の御代紀州熊野宮三所の宮に遣わし祈願せしめ、慶長20年(1615)6月現在の本殿を建立、大守の霊夢により門外村に熊野新宮、八幡村に熊野本宮を相殿とし那智山袋宮寺熊野三所大権現と改称した。新町川の西岩木川の東下町八ヶ町を以って永代氏子とせよとの御墨付を受けた当社は御霊験灼かで歴代藩主を始め氏子の崇敬厚く、御祈願所として武運長久、富貴繁栄、寿命長延、国家安全、万事任心御守護を祈願し藩政時代祭事は盛儀を窮めた。
明治に至り廃藩となり、明治4年(1871)神仏混淆廃止、明治6年(1873)神仏仕訳により村社熊野宮となる。以後敬神の念の篤い氏子により神社が護持され、終戦後は社格が拝祀され宗教法人熊野宮となる。平成5年(1993)11月22日熊野宮本殿青森県重宝に指定される。
境内由緒書き より。
参道入口
境内入口
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和9年(1934)旧6月15日建立)
拝殿
拝殿内部
本殿
天満宮
天満宮を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
境内社
猿田彦大神
猿田彦大神・二十三夜尊・青面金剛
御神木の公孫樹