杭止神社

弘前市如来瀬大久保平 (令和6年7月12日)

東経140度23分20.09秒、北緯40度35分13.39秒に鎮座。

この神社は、弘前市役所の西6km程の辺り、大久保平の街外れに鎮座しております。

御祭神 川崎権太夫

由緒
津軽に水田灌漑のために人柱のあったとされる伝承は浅瀬石川の藤崎堰と、ここ杭止堰の二例である。ここは岩木川左岸の灌漑には重要な地として、古くから第一の堰口があったとされるが、何時の頃からかは詳らかではない。岩木川がしばしば氾濫を起し、村人達に大きな被害と恐怖を与えていた。
伝承によると、文明4年(1472)旧暦4月26日、堰神の神官川崎権太夫(現羽黒神社-宮地-の川崎氏の遠祖)が自ら人供養となり、水神の怒りを静め、永く堰口を守らんと決し、身を浄め、折からの豪雨の中、白装束に身を包み、白馬に乗って堰口に向かい激流の中に身を入れ川底に伏して杭を打たせ、人柱となって工事を成功させたと言われ、水下六ヶ村の深い感謝を受け、権太夫を堰神に合祀したとされる。後に娘の真手女も父の後を追い同所に入水したとある。後になって津軽氏2代信枚公より社領30石と士分を賜り、慶安4年(1651)3代信義公は盛大な祭典を挙げその霊を慰めている。
現在の堰頭首は、昭和37年(1962)津軽灌排災害復旧工事により完了したものであるが、それを記念し時の杭止堰土地改良区理事長三上盛司氏の尽力により、「杭止神社」造営、それまで羽黒神社に合祀されていた神霊を迎え、同神社川崎氏の当主光晴氏他関係者の奉仕によって鎮座祭が行われ今日に至っている。
境内由緒書き より。

神社全景

神社入口

鳥居

神額

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬

(昭和55年(1980)4月26日建立)

拝殿内部

本殿