弘前市相馬薬師平47 (令和6年7月12日)
東経140度22分01.36秒、北緯40度33分12.26秒に鎮座。
この神社は、弘前市の西南西8km程の辺り、薬師平の街外れに鎮座しております。
御祭神 少彦名命
由緒
もと、この神社は薬師堂と称して薬師如来をまつっていました。
弘安4年(1281)勧請であるといわれ、安政2年(1855)の「*神社微細社司由緒調書上帳」によれば、元禄2年(1689)、享保2年(1717)、天保15年(1844)の棟札があったとされています。
明治に入り神仏分離令が公布され淡島神社と改称されました。祭神少彦名命。
当社は縁起も古く、相馬地区を中心として産土神として信仰の中心となってきたものです。祭礼は7月8日。
境内由緒書き より。
*神社微細社司由緒調書上帳(じんじゃびさいしゃじゆいしょしらべかきあげちょう)
最勝院は、領内諸宗筆頭であり寺社を統轄する僧録所で、弘前総鎮守八幡宮別当(弘前藩領内神社社家総別当職)として領内の社人を支配。また、大行院を惣司役寮として、領内の修験・座頭・梓巫女を支配した。明治の神仏分離・廃仏毀釈により、大円寺跡の現在地へ移った。
本帳は、安政2年(1855)から藩内における諸神社・神官の由緒のみならず、当時の社家の勢力、他神社との関係、その地方の生産の概況までも詳細に調べ上げてまとめたもので、万延元年(1860)に完成したものである。
神社数は全部で1,133社にも及び、津軽の神社や社人を研究する上で重要な史料である。
弘前市文化財課
参道入口
一の鳥居
参道
二の鳥居
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正14年(1925)7月8日建立)
本殿
境内社