愛宕神社

弘前市高屋本宮524 (令和6年7月12日)

東経140度25分48.40秒、北緯40度36分59.76秒に鎮座。

この神社は、弘前市役所の西北西4km程の辺り、高屋本宮の街中に鎮座しております。

御祭神 軻遇突智神

由緒
愛宕神社の起源は、天応元年(781)和気清麿呂が光仁天皇の勅命により、京都愛宕山に社殿を造営、平安京の鎮護として愛宕大権現を祀ったのがはじまりであり、本地仏は勝軍地蔵。
津軽においては、為信が京都の愛宕峰の教学院祐海の勧めにより、後慶長6年(1601)浅瀬石村(現在黒石市)に勧請、後慶長14年(1609)2代信枚が、当町植田に遷座の際、休憩所にあてられた当地に、その分身を祀った。明治以前の御神体は、天保9年(1838)斉藤家奉納の2体の木像であった。
境内には寛政9年(1797)の供養塔、享和3年(1802)の地蔵尊、文化7年(1810)の餓死供養塔をはじめ天保年代の石碑等も多い。
境内由緒書き より。

神社入口

御神馬

二の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正10年(1921)10月24日建立)

本殿


庚申塔等

石碑