保食神社

平川市大光寺字四滝本62 (平成21年7月22日)

東経140度33分28.20秒、北緯40度35分29.70秒に鎮座。

この神社は、弘南鉄道・弘南線・平賀駅の北北西1.5km程の辺り、平川市の外れ、林檎畑の中に鎮座しております。

御祭神 宇氣母智神
例祭日 七月十七日

由緒
当社は大同年中 (八〇六〜八一〇)、坂上田村麿の創建に係ると云い伝えられているが、詳らかではない。古昔は瀧本熊野権現宮千手観音堂と言われていたが、明治四年、神仏混淆禁止の為、保食神社と改称した。承久元年 (一二一九)、曽我時廣が大光寺城に拠り、一族郎党をその付近に土着させ城内にある熊野宮を補修し領田若干の寄進をした。天正三年 (一五七五)、瀧本重行城主の時、津軽為信に攻められ落城後は代々の城主厚く崇敬し領田の寄進を始め祭儀を厳修した。慶長十四年 (一六〇九)、大光寺廃城以来四十年余り堂社の破損著く村民これを嘆き、承応年中 (一六五二〜一六五五)、旧跡地瀧本に堂社を造営し、其の後大光寺組十七村の氏神となる。明治四年、津軽藩神社調べに依れば、当神社は大光寺村、本町村の産土の社とありて、其の後、本町村、小和森村に産土神社が建立、昭和二十七年、大光寺部落の氏神となる。明治六年境内地を成し、昭和二十一年三月、宗教法人令により宗教法人となる。
青森県神社庁公式サイトより。

参道入り口と一の鳥居

太い注連縄の上には酒樽、下にはジャンバラを下げ実に豪華な注連縄です。

社号標と大光寺観世音菩薩碑。明治四年、神仏混淆禁止の為、保食神社と改称し、御本尊の千手観音を宇氣母智神に取り替えた筈ですが、津軽の人達は元々の観音信仰を捨てていないようです。現在も津軽三十三観音霊場、第三十番札所、大光寺慈照閣として人々の信仰を集めています。

二と三の鳥居

境内

拝殿と狛犬

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治38年(1905)旧正月17日建立)

本殿

観音堂。明治の時取り壊された筈ですが、その後再建されたのでしょうか。

境内の末社

御神木の皀莢(さいかち)
豆科の落葉高木・北海道を除く日本各地の川岸や山野に自生する。幹や枝には茎の変化した刺(とげ)がある。果実及刺は漢方で去痰薬として果皮はサポニンを含み石けんの代用とされた。