神明宮

平川市館山板橋 (平成21年7月20日)

東経140度32分18.48秒、北緯40度35分41.62秒に鎮座。

この神社は、弘南鉄道館田駅の北1.5km程の辺り平川の右岸に鎮座しております。弘前市にも近いこの辺りは通勤可能圏内なのでしょうか。近くには新興住宅地が見え、だんだん宅地化されて行くのでしょうか。又、神社の参道を行くと左に曲がって境内となり、更に右に180度回転して拝殿正面となる等、複雑な配置となっています。由緒書には記載がありませんが、遷座や配置換え等あったのでしょうか。

御祭神 天照皇大神
例祭日 七月十六日
由緒
古来観音堂として四民深く信仰し、元禄三年 (一六九〇) 建立、当村の産土神として崇敬された。天文年中 (一五三二〜一五五五) は、守山神明宮として勧請され、爾来館山、松崎、松館右三ケ村の産土神として重く奉齋され、明治初年御一新に付き、明治三年の神仏混淆仕分けの際、社号を神明宮と改め、明治四年三月十七日、神明宮の社号を受け、明治八年五月五日、陸奥国第二大区八小区館山の神社として、天照皇大神を奉齋し、村社に列せられる。館山、松崎、松館三ケ村の産土神として崇敬され、大正年間に松館村が氏子区域を離れ、館山、松崎二ケ村の氏神として今日に至る。終戦後、神社制度の根本的改革により、昭和二十二年四月一日、宗教法人令による宗教法人神明宮となり、昭和二十六年二月六日、国有境内地三〇〇・〇五坪譲与される。
青森県神社庁公式サイトより。

参道入り口と社号標。

御由緒略記
舘山神明宮所在地を守山と明記してあり大浦為信の旗上げ当時には既に守山神明宮を本陣として天正三年大浦勢正月元旦第二次大光寺城を攻め落城の際に大浦為信が本陣を構えて指揮したという史実から推して見ても古社であり舘山松舘松崎三村の御産土神様として崇敬されています
松舘址

津軽独特の注連縄

参道

境内入り口

境内入り口に立つ〆柱

境内の津軽半構え狛犬。拡大写真はこちら。

(大正11年(1922)7月16日建立)

拝殿

本殿

本殿前、年代不明の狛犬。拡大写真はこちら。

本殿左右、猫顔の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治27年(1894)9月16日建立)

末社