平川市高木原田26 (令和6年7月11日)
東経140度35分22.43秒、北緯40度36分59.27秒に鎮座。
この神社は、弘南鉄道弘南線・津軽尾上駅の北東1km程の辺り、高木原田の街外れに鎮座しております。
御祭神 軻遇突智命
由緒
延暦年間(782〜805)の草創にして猿賀神社の末社なり。明治に入り独立の神社として同6年(1873)村社に列せられる。往古は愛宕宮、愛宕権現、高木山堂とも称えられた。大正2年(1913)11月12日幣帛供進の指定を受け氏子一同一致協力して境内社殿の整備に努め経営、以て今日に至る。又、津軽一統史に曰く「延暦10年(791)坂上田村麿将軍、勅令により東夷征討の節、遠く此の地に来たりて賊将大嵩丸を津軽阿楚邊の森に攻めるも、大嵩丸逃れて猿賀に至り、ついに関所にて討たれる。すなわち此の地を封じて一社を建立し、土民に祀られる。今の猿賀神社がこれである。
其の当時、高木へ一社を建立武運長久を祈り、将軍地蔵(現愛宕神社)と唱え軍神として祀る。云々」、更に東日流大成記に曰く「天正13年(1585)南部勢浅瀬石城を攻めるに当たり、中興の祖津軽為信公自ら浅瀬石城の後詰めとして高木将軍地蔵境内に陣営を布く。」とある。
境内由緒書き より。
参道入口
二の鳥居
参道左右の岡崎型狛犬
境内
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(石工 成田直住 大正10年(1921)4月24日建立)
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治3年(1870)旧10月吉日建立)
本殿
庚申塚等
御神木「夫婦木」
津軽為信公「腰掛の石」