平川市唐竹水上 (令和6年7月11日)
東経140度36分49.18秒、北緯40度33分06.62秒に鎮座。
この神社は、平川市役所の南東4km程の辺り、唐竹水上の街外れに鎮座しております。
御祭神 少彦名神
由緒
當村より南の方に壱里余隔て阿蘇嶽と云う山があって、古昔延暦10年(791)勅命によって坂ノ上ノ田村麿将軍が東夷征伐の折、山頂に本陣を据え夷を退治の末田村麿将軍が眼病に罹り難儀せられ、或夜の夢にいとも尊き二人の美女が顕われて、是より奥20丁位経て清水あり、其水にて目を洗うならば忽ちに平癒疑いなし。我は此の土地を鎮め守る少彦名神であると聞いて夢が醒め、あたりを見ても人影更になく、是れ正しく神の御告げと信じ山頂より20丁程下り、清水をさがしたが見当らず、道に大きな石が横たわりその石に膝をついて禮拝すると不思議にも将軍の烏帽子が西の方数丁の彼方に飛び落ちたので、其所へ行って見ると果して清らかな泉がありこれこそ神の授け賜いしものと畏み清水を掬い目を洗ったところ忽ちに平癒し、その徳を感じ眼病守護のため阿蘇嶽に剣を埋め薬師神と崇め社殿を建立せるも、遠隔のため参拝者の不便を考え正徳6年丙申(1716)、渡辺平太左衛門字薬師澤の地へ社殿を遷す。明治2年(1869)神仏分離令により仏体取り除き阿蘇嶽古社より出土の鏃を祭神少彦名神の神璽として崇め祭替えして村社に列せられる。
境内由緒書き より。
一の鳥居と社号標
二の鳥居
注連縄
参道
境内入口
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治25年(1892)壬辰6月8日建立)
向拝の鳳凰と木鼻の狛犬
本殿
石碑
忠魂碑