八戸市豊崎町上永福寺127-2 (平成21年5月7日)
東経141度23分1.3秒、北緯40度30分32.6秒に鎮座。
【神社情報・gamanさんより】
場所は八戸市の西、国道454号線を5kmほど行き、細い小道を左に入って約1kmのところにあります。
ここには3組の狛犬がいました。そのうち2組は仲良く並んでお出迎えです。また3本の大きな杉があり、八戸市指定天然記念物となっています。
そしてなぜか英文が刻まれた灯篭。しかも残念なことにスペルが間違っています。ご愛嬌でしょうか。
御祭神 伊弉册命
例祭日 九月七日
七崎(ならさき)神社由緒
天長元年(842)四月七日創立。旧社格郷社、明治八年五月列格
南都四条中納言藤原諸江卿が勅勘のため流刑を被り漂泊の身となり奥州階上郡白銀村に上陸し、浜づたいに八太郎まで至り居をトして変形して漁夫となり介鱗を漁獲しようとした網に異相の霊体を得る。これ将に正観世音菩薩像であった。よって一小社を建立して安置奉斎する。時に天長元年四月七日なり。
その後、承和元年正月七日の霊夢により、七崎、永福寺まで諸江卿が供奉して七崎山徳楽寺と奉斎す。
明治初年の神仏分離令により、当時の僧守が「当寺は今後神社として伊弉册命を祀り、七崎神社と奉称する」とて改めて出発する。
青森県神社庁公式サイトより。
明治の廃仏毀釈時の様子が生々しく書かれています。他府県の神社も見習うべき態度かと思われます。
神社遠景。幟と鳥居は脇参道入り口。正面入り口はもう少し先のようです。
脇参道入り口。幟には昭和五十八年、永福寺町内一同となっています。その頃迄は永福寺町と言っていたようです。地図を見ると、ここより北側300m程の辺りに、普賢院と言う寺があり、まっすぐ参道が東に延びており、その両側に街並みがつづいています。平凡社「青森県の地名」によれば、旧七崎村(ならさきむら)の大部分は盛岡永福寺領だったという。勝手な想像だが、普賢院の場所に永福寺があり、その門前町として旧七崎村が出来た。ここは正観世音菩薩を御本尊とする塔頭の一つであったのかも知れない。そして明治の世になり、寺は廃され七崎神社となり、町は永福寺町となったのではないだろうか。
正面入り口と社額
参道
椿の陰に居る昭和岡崎型狛犬
(昭和56年(1981)7月24日吉日建立)
神門と狛犬達
確かに仲良く並んでお出迎えです。拡大写真はこちら。
(嘉永3年(1850)庚戌12月17日建立・奥側)
拝殿
向拝下の龍虎と木鼻の狛犬
本殿
承安年間(1171〜1175)、僧行海が、諸国を巡歴しこの地で密教を布教した。そのとき行海は、各地をめぐったがこれほどの霊地はないといって、境内に七曜星をかたどって七本の杉を植えた。そのうちの三本がいまなお立っていて神の杉と村人にいわれている。
ヒノキアスナロ緑の少年団応援サイトより。
承和元年(834)霊夢によって七崎山に遷宮し、その時植えた九本の杉の内三本が残ったと言われています。
八戸市教育委員会。全文はこちら。
杉1
杉2
杉3
英文が彫られた灯籠
(昭和40年(1965)5月7日建立)
手水舎