日吉(ひえ)神社

五所川原市相内赤坂 (平成27年4月25日)

東経140度22分17.67秒、北緯41度03分52.29秒に鎮座。

この神社は、十三湖の北4km程の辺り、人里を離れた森の中に鎮座しております。

御祭神 

由緒
山王坊川が流れる山間の奥まった谷間に日吉神社が勧請されたいる。この一帯は「山王坊」とも呼ばれ、山林に囲まれた境内地は古来より霊地として地域住民に畏敬の対象とされ、大切に守られてきた。これまで、
1.安藤氏に関する日吉神社の地である。
2.『十三往来』に記載される阿吽寺跡の地である。
3.南部氏によって焼き打ちされた地であるといった伝承が語られてきた。
さらに山王坊一帯からは南北朝〜室町時代の五輪塔・宝篋印塔・板碑などの石造物が多く出土しており、「十三千坊」の中心地と考えられてきた。
昭和57年〜平成元年度の調査では、最奥にある丘陵中腹から奥院と考えられる方形配石墓や幣・拝殿跡、大石段(石組階段)が一直線上に配置されて発見された。
一方で、平坦地からは南北一列に並ぶ拝殿、渡廊、舞台、中門、瑞垣、本殿跡といった社殿跡(神社跡)として復元可能な礎石建築物が発見された。
平成18〜21年の調査では、西側丘陵の山際から、新に3棟の礎石建物跡が発見された。そのうちの1棟が南側を正面とする入母屋造か寄棟造で、仏堂などの仏教的色彩の強い建物跡であることが分った。最大の特徴は、流水(水路)に跨って建てられていることであり、自然の流れを利用した庭園を伴っていた可能性が考えられる。
山王坊遺跡は十三湊安藤氏の盛衰と一致する14世紀中頃から15世紀中頃(南北朝〜室町前期)に繁栄を極めた神仏習合を如実に示す貴重な宗教遺跡である。
境内由緒書き より。

国道339号・相内バイパスから入ったすぐに立つ一の鳥居。

鳥居脇の案内板

参道入口

二の鳥居

参道

拝殿

本殿


末社

渡殿?

水芭蕉

山桜