大星神社

青森市問屋町1-18-28 (平成21年7月23日)

東経140度45分29.44秒、北緯40度47分15.84秒に鎮座。

この神社は、青森市の南5km程の辺り、103号線に面して一の鳥居が立っております。神社はそこから、600m程西に鎮座しております。

御祭神 天之御中主神
(左方) 磐裂神、根裂神、素戔雄神
(右方) 経津主神、武甕槌神、神倭磐余彦神、日本武神
例祭日 旧六月十五日

由緒
 延暦十一年蝦夷鎮護の祈願所として草創され、同二十年坂上田村麻呂将軍東夷征討の時、本社殿を再興して妙見宮と称して天之御中主神を祭ると言い伝えられる。又津軽藩の成立により外ケ浜の古社として初代藩主津軽為信公の当社再建、二代藩主信牧公の祈願等歴代藩主の社殿修復参拝をたまわり、四代藩主信政公は社殿の再建並びに庭園を築き、桜樹を移植して境内を整備し神聖を計り、九代藩主寧親公は由緒深き本社の御神事を盛んならしめんと壮麗なる本殿を構築し、御神器諸物、御真筆の社号の額を奉納。国家安泰を祈願され、本社を津軽藩の大社に列し社禄を与える等、藩中に重きを成すのみでなく一般民衆に厚く尊栄せられ、大祭及新年旧正月十五日には遠近の村落よりの参詣人で賑わう。明治初年廃藩置県と共に社禄及び一切の出費廃止となり、明治三年迄妙見宮と称するが、同年神仏分離令により大星神社と改称し、同六年郷社に列せられる。
青森県神社庁公式サイトより。

読みづらいのですが、境内由緒書はこちら。

地図を見ると、一の鳥居の東側に妙見という地名が見られます。しかし寺院らしきものは見つかりません。明治の時廃寺となったようです。由緒書の「坂上田村麻呂将軍東夷征討の時、本社殿を再興して妙見宮と称して天之御中主神を祭る・・・」のくだり。御祭神は明治政府の創作で、以前は妙見菩薩を御本尊とした寺院だったのです。

103号線に向かって立つ一の鳥居と社号標。嘗ての参道入り口でしょうか。

嘗ての参道と思われる道路

参道

二の鳥居

さらに続く参道

三の鳥居

社殿側より見る三の鳥居

参道

社号標と四の鳥居

拝殿

拝殿前の中国産と思われる狛犬

(昭和4年(1929)5月建立)

拝殿内部

本殿

妙見宮

明治政府により「天之御中主命」が押し込まれた時、妙見菩薩はこちらへと遷座されたようです。

薬師神社

不明

稲荷社 不明

妙見宮尊前と彫られている石灯籠