廣峰神社

青森市浪岡北中野天王93 (平成21年7月23日)

東経140度36分48.5秒、北緯40度42分35秒に鎮座。

この神社は、奥羽本線・浪岡駅の東3km程の辺り、浪岡城跡の南東700m程の辺りに鎮座しております。浪岡城は、城の四隅に祇園(現・北中野広峰神社)、八幡(現・浪岡八幡宮)、加茂(現・五本松加茂神社)、春日(現在は廃社)の各神社が配置されていたそうで、城は大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ落城したが、神社はそのまま残されたと思われます。

御祭神 須佐能男命
例祭日 八月十四日

由 緒
人皇五十一代平城天皇の御世、大同二年 (八〇七) 六月十四日、坂上田村麻呂の建立にして、社号を天王社、一説には御廟社、或は行岳(ナミオカ)崎磯の社とも称した。此の社の東西に田畑二十町余りあり、其の字名は往古より現在に至るまで天王と称す。延宝年中 (一六七三〜一六八一) の頃より、いかなることか誤りて牛頭天王と称す。其の後、寛政年中 (一七八九〜一八〇一)、社寺御調べの折、祇園社と称す。安政二年 (一八五五) 神社明細調べの節、神典詮議の処、祇園は須佐能男命に当たる由を以て、須佐能男命を勧請致したくその旨上申した。元禄二年 (一六八九)、北畠権大納言具永が造営して、旧藩主より現米一石八斗の社料を賜わる旨が津軽記の申書に記載されている。文化十二年 (一八一五) 四月、当社焼失し宝物及び書類の大半を失い、残った物も天保七年 (一八三六)、凶荒の折り何れかに散乱したと伝えられる。神仏混淆仕分け以来、社号を改め廣峰神社と称し今日に至る。
青森県神社庁公式サイトより。

住所が天王です。当然明治以前は牛頭天王を祀る天王社、または祇園社であった筈ですが、「誤りて牛頭天王と称す・・・」くだりはどういう事なのでしょうか。

神社入り口と社号標

神額と金属の注連縄

二の鳥居

三の鳥居

境内

境内入り口の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正12年(1923)旧2月14日建立)

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治20年(1887)旧6月14日建立)

拝殿

向拝下の龍、狛犬と象

本殿

果樹観音堂

不明の末社

猿田彦大神碑