四戸橋(しとばし)稲荷神社

青森市四戸橋磯部18 (令和6年7月21日)

東経140度39分46.14秒、北緯40度56分38.65秒に鎮座。

この神社は、JR津軽線・中沢駅の南東400m程の辺り、磯部の街中に鎮座しております。

御祭神 豊受姫命・猿田彦命・大宮能女命

由緒
祭神は豊受姫命と猿田彦命と大宮能女命の三柱である。
この神社は明治41年(1908)の旧後潟村役場の神社寺院明細帳には記載されてはいないが、江戸時代の302年前の天和3年(1683)の後潟古絵図には熊野宮の北方に位置して描かれている。その証拠には古代祭祀用の土器2個が、字富田の工藤正之氏の水田より出土発見されている。
190年前の寛政5年(1793)に小一郎、善右エ門、弥左ェ門、万十郎、伊右ェ門、小三郎等四戸村の祖先達が現在の地に再建したことは182年前の享和3年(1803)の「寺社領分限帳」文部省国立史料館の蔵書と128年前の安政2年(1855)の「神社微細社由緒書上帳」最勝院蔵書の古文書には、四戸橋村稲荷宮と記入されているが、112年前の明治4年(1871)の「藩内神社調」弘前八幡宮の蔵書には記入されていない。これは、120年前の文久3年(1863)頃に廃社されたものと考えられる。
その後は弥左ェ門、小三郎等により私祭されていた。後に私祭者から部落に帰されたので、大正の始め頃、70年前に森山岩五郎氏と金谷孫市氏より、字磯部18番地の宅地、68坪の土地を寄贈された。現在の社堂はその頃に復興建立されたものである。土地の名義は当時の別当総代の工藤誠一外60名の名で昭和10年(1935)頃に青森地方法務局に登記されている。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

神額

鳳凰と木鼻

拝殿内部

本殿覆屋


境内社