青森市六枚橋浪知68 (平成24年7月30日)
東経140度40分00.16秒、北緯40度55分32.01秒に鎮座。
この神社は、JR津軽線・後潟駅の南250m程の辺り、六枚橋浪知の街外れに鎮座しております。
御祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命
由緒
明治41年の旧後潟村役場の神社寺院明細帳には、祭神は伊邪那岐命と、伊邪那美命で293年前の、元禄3年に村中安全のため建立された。後110年前の明治6年3月に、郷社後潟神社へ合祀、108年前の同8年3月に復社、翌9年12月に村社に列すと記載されてあるが、実は、中世期582年前の応永8年頃に、尻八館主の安東氏の時代に、その山麓の城下李平部落に、修験道の熊野権現社として祀られ、その後江戸時代の初360年前の、寛永2年に李平に再建したことは、281年前の元禄15年の、大行院文書「堂社縁起由緒書」四世良慶著及び、182年前の享和3年の、「社寺領分限帳」文部省国立史料館蔵の古文書等に記入されている。
112年前の明治4年に現在地の、字不浪知68番地の第1種官有地、反別1反2畝3歩の地に移されたもので、奥の院(本殿)は、寛永の再建の時のものといわれ、桃山時代の様式を能く伝いているといわれている。本来の祭神は、熊野三社権現である。和歌山県新宮市の、熊野速玉大社の祭神速玉男命(素佐之男命)と、本宮市の熊野本宮大社の祭神、事解之男命(軍神饒速日命、又の名を大歳命ともいひ、素佐之命の第5子)と、那智の滝の水神を祀った那智大社の祭神、伊邪那美命の三神を祀ったものである。
境内由緒書き より。
社号標
参道を横切るJR津軽線
神社入口
境内
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正15年(1926)10月14日建立)
社殿
末社
猿田彦大神
神社前を走るJR津軽線