本荘神社

由利本荘市尾崎7(平成22年8月18日)

東経140度3分2.87秒、北緯39度22分54.67秒に鎮座。

 この神社は関ヶ原合戦後、江戸時代に入ってから築城された近世城郭・本荘城の本丸跡に鎮座しています。
 本丸跡は二ノ丸と共に鶴舞公園となっていて、綺麗に整備された城郭跡の最上部に、社号標が立ち、一面に芝生が植えられ、整然と社地が整えられています。参道を行くと左に社務所、右に境内社の稲荷神社が配され、正面に入母屋造りの拝殿と本殿鞘堂が建立されています。
 本荘城は慶長15年(1610)、楯岡豊前守満茂が由利氏の一族の佐藤氏・井上氏が住んでいた尾崎山に築城を開始し、2年後に完成させてこの地を本城と名付けました。その後紆余曲折があり、本城には仙北郡六郷から常陸国府中に移されていた六郷政乗が転封され、本城の規模を縮小して本荘城と改称して居城とし、以後240年間、六郷氏が幕末まで本荘の地を領有する事となりました。戊辰戦争時には本荘藩は久保田藩と共に新政府軍側に属したため、藩主六郷兵庫頭政鑑は本荘城に火を放ち久保田城へ逃れました。その後、明治2年(1869)に廃城となっています。

 御祭神:建御名方命、六郷兵庫頭藤原政乗、諏訪大神、稲荷大神、八幡大神、藤原鎌足
 祭礼日:4月28日
 境内社:稲荷神社
 由緒:元応年中の創建と伝えられ、六郷兵庫頭政乗公が本荘城を築き、諏訪神社を守護神として崇拝す。
 寛永11年4月28日政乗公逝去後6代六郷政林公霊神社を建立して祭祀を執行して来た。
 明治3年6月前記諏訪神社に合祀し、明治12年8月30日本荘神社と改称し郷社に列す。
 明治19年5月19日類焼に罹り、同22年10月再建落成。
 これが現在の社殿である。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)

社号標
「郷社本荘神社」
社頭
参道・境内の様子
拝殿
拝殿内の様子
本殿鞘堂と正面
拝殿に掛かる珍しい額
境内社:稲荷神社
石碑 芭蕉翁碑