日住白山(ひすみはくさん)神社
由利本荘市鮎瀬石橋山124(平成22年8月17日)
東経140度6分8.76秒、北緯39度20分6.08秒に鎮座。
この神社は由利本荘市郊外にある鮎瀬石橋山に鎮座しています。この社は事前の下調べで「本荘藩一ノ宮」とあったので、もっと市街地で人家の近くに鎮座しているのかと想像していましたが、一面の水田が切れ森林地帯へと移り変わる境界に社地があり、江戸時代までの中心地と現代の市街地は別物…なのですね。
入口には 「本荘藩一ノ宮日住白山神社」の社号標が立っていますが、これは明治42年に合祀された「日住神社」が「本荘藩一ノ宮」だったようです。石段の参道は途中に二カ所の踊り場を経て境内へと続き、落ち着いた感じの境内中央に拝殿と、覆われて良く見えないのですが本殿が建立されています。
拝殿は彫刻がたっぷりと彫られた凝った造りで蝦虹梁の上に力士が座っています。
御祭神:天照皇大神、伊邪那岐神、伊邪那美神、菊理姫神、瀬織津姫神、大彦命、天宇津女命
祭礼日:4月15日(旧暦5月6日)
由緒:創立仁明天皇の御宇、嘉祥3庚申年であって、僧円仁巡錫の時祠を樋脇白山の地に建て、伊邪那岐神・伊邪那美神・菊理姫神を奉祀し、神像一体を石に刻んで奉安したと言う。即ち白山妙理大権現と公称す。後、瀬織津姫神を合祭して、皇室の御尊栄と国家の安泰とを祈り奉る。
慶長16年亥年楯岡豊前守神田5反歩を奉納したという。元和9壬申年六郷兵庫頭政乗領主となるや武運長久祈願社とする。享保16亥年7月石橋山に遷座す。
文政10丁亥年社殿再建。文久元酉年1月26日社殿神楽殿焼失。慶応2丙寅年社殿神楽殿再建。
明治2己巳年白山神社と改称す。明治41年より神社合祀により、村内各社を合祀し明治42年日住神社も合祀して明治44年11月31日秋田県知事の許可を得て、日住白山神社と改称す。明治45年4月村社に列した。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)
鎮守の杜遠景 |
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社頭 |
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入口に立つ社号標
「本荘藩一ノ宮
日住白山神社」 |
石段参道途中に立つ台輪鳥居 |
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石段参道 |
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石段参道の様子 |
石段参道脇に立つ「田之神」 |
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境内入り口 |
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境内の様子 |
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拝殿 |
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拝殿向拝目貫彫刻・竜虎の戦い |
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拝殿向拝木鼻・狛犬と獏 |
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蝦虹梁に乗り、社殿を支えている力士達 |
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本殿鞘堂 |
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豊受大神 |
手水舎 |
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