矢島(やしま)神社

由利本荘市矢島町城内八森3-4 (平成28年8月20日)

東経140度08分21.13秒、北緯39度13分40.40秒に鎮座。

この神社は、由利高原鉄道鳥海山ろく線・矢島駅の西300m程の辺り、矢島小学校の東隣、八森城址に鎮座しております。

御祭神 藤原朝臣雅楽頭生駒親正命・藤原朝臣讃岐守生駒親敬命

由緒
明治15年生駒家の先祖親正の霊魂を祭祀すると、旧矢島藩士140余名並びに旧領民2700余戸の代表が時の県令石田英吉に出願、内務卿山田顕義が上申、同30年許可となり、例祭日生駒家最後の勤皇者親敬の霊魂と合祀の議聞き届けられ、翌31年5月13日合祀の式を執行した。
秋田県神社庁公式サイト より。

由緒
明治15年(1882)、旧矢島藩士140余名と旧領民有志2700余戸の代表者4名が、生駒家初代生駒親正の霊魂を祭祀したい旨を県令石田英吉に出願、内務卿からの許可を得て建立された神社である。
加えて、明治30年(1897)の例祭当日、矢島生駒家最後の領主であった生駒親敬(矢島13代)の霊魂も合祀したいとの協議がまとまり、建立時同様に県に願い出、許可を得て翌31年(1898)5月13日合祀式を執行し現在に至っている。
初代親正は岐阜県土田の出身、織田信長・豊臣秀吉に仕え、17万1800石の西国大名として四国讃岐の領主だったが、4代高俊の時、お家騒動のため徳川家光から領地を没収され、矢島に威風された。以来矢島13代、明治維新を迎えるまでの230年、生駒家は矢島領民の治政を務めた。
矢島を一望できるこの地「州崎」に神社を建立したのは、生駒家歴代領主への感謝と崇敬を表わす領民の真意であろう。
境内由緒書き より。

神社入口

鳥居と社号標

拝殿

本殿


矢島の街並