日枝神社

由利本荘市南福田東鳴瀬26 (平成28年8月19日)

東経140度04分20.66秒、北緯39度19分56.18秒に鎮座。

この神社は、由利高原鉄道鳥海山ろく線・鮎川駅の北北西800m程の辺り、東鳴瀬の街外れに鎮座しております。

御祭神 大山咋神・誉田別命・宇迦之御魂神

由緒
昔平沢館の城主由理仲八郎の末孫政春が、山形飽海から由理5万8千石の籏頭となり、西目浜館に居城した。
その後栗山館の城主鳥海弥三郎と不和になり、その攻勢に耐えず、やむなく居城を浜館からこの鳴瀬台に移し、この地の地相を見て山王権現をまつり、埋田谷地を開田するなどして食糧の確保に努めた。
その後さらに弥三郎の襲撃を受けたが、鳴瀬台は三方見張りがよくきくが、西風強く守るに矢風を受けるので、やむなく正和4年奉行免根代館に居を替えた。
それが執拗にも正中元年3月23日更に急襲を受け、根代館は落城、翌24日政春は多くの家臣と共に自害して果てた。
自刃にあたって政春は、重臣村上帯刀を呼び、由理家代々の宝刀(藤原秀衝からの拝領という)を授け、若君2人(丁刃丸、吉雄丸)の養育と由理家再興を頼み、その添役として伊藤四郎久宗らを加え、一行16名は闇にまぎれて根代館を脱出した。
この重大使命を受けた一行は途中鳴瀬台に足をとどめ、かつての由理家の氏神山王権現にぬかづき、男女16名はおのおのが「タブサ」を切って由理家の武運長久を祈願した。
「タブサ」は錦の袋に入れて、今でも日枝神社の社宝として神殿ふかく安置されてある。
この山王権現を祀ったところを「山王堂野」と呼んだが、領主なきあとは山王堂野から現地に移し崇敬社とした。
秋田県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

鳥居

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和11年(1936)4月15日建立)

拝殿

幣殿

本殿覆屋


末社