塩湯彦鶴ヶ池神社

横手市山内土渕鶴ヶ池(平成22年8月19日)

東経140度37分20.63秒、北緯39度16分47.6秒に鎮座。

 この神社は相野々駅の北約500m、鶴ヶ池湖畔の北に鎮座しています。この社には今回の秋田旅行のメインテーマである力士さんがいるとの情報で参拝の運びとなりました。
 真っ白な蓮の花が咲く湖面を感激しながら眺めた後に、神社入り口の鳥居を潜ると十数段の石段、その後は綺麗に手入れされた木々の間を縫うように緩い坂道を上がっていきます。参道途中には御本社・塩湯彦神社の案内が立ち、境内に上がると草原の中に入母屋造りの赤い屋根の拝殿が建立されています。この社殿の四方の組木上にお目当ての力士さんがいるのです。力士さんは三体しかありませんでしたが、秋田北部の力士達から見るとずいぶん力強く強面の顔つきをしています。
 鶴ヶ池と共に公園内に鎮座する神社なので、手入れが行き届き、散策に適した環境にある素敵な神社でした。

 御祭神:速玉尊、大山祇命
 祭礼日:6月第3日曜日
 由緒:千古の式内社であり清原氏の氏神であった塩湯彦神社の本殿は、ここから北方約10kmの大松川字御嶽山3番地に鎮座している。この塩湯彦鶴ヶ池神社は昭和12年、御嶽山上の本殿を遥拝するため建立された。
(境内案内より)

 この社は御嶽山に鎮座する式内社・塩湯彦神社の里宮です。
 塩湯彦神社は社伝によれば672年(白鳳12年)、役行者が開基したとされる。「出羽国平鹿郡 鹽湯彦神社」として延喜式に見える式内社である。元々は平鹿盆地の東側にそびえる御嶽山の温泉の神であったらしいが、熊野系修験道の影響を受け、中世には「熊野堂」と称した。そのためか、速玉尊を祭神としている。
 一時期荒廃し、同郡内の式内社である保呂羽山波宇志別神社の神職である大友家が別当を務め、神楽役の三梨家が実際の管理を行ってきた。江戸時代に入り秋田藩主佐竹義格が藩内古社の復興を行った際に復興され、秋田藩三国社として江戸時代を通じて崇敬された。1872年(明治5年)郷社となる。
 1963年(昭和38年)、豪雪により社殿が倒壊し、里宮に祭祀の場が移っていたが、1982年(昭和57年)有志により再建された。
 * 里宮:塩湯彦鶴ヶ池神社(横手市山内土渕字鶴ケ池)
 * 奥院:白滝観音(横手市山内大松川字観音沢)
 当社の奥院とされている白滝観音信仰からくるものか、修験道系には珍しく古くから女人禁制ではない。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
入口に立つ木製鳥居 鳥居に掛かる額
石段参道の様子
参道途中の
御本社・塩湯彦神社案内
参道の様子
境内入り口
境内の様子
拝殿
拝殿に掛かる額
拝殿目抜き彫刻・龍
拝殿木鼻・狛犬
拝殿隅柱木鼻・象
拝殿四隅の組み物の上から睨みをきかしている力士達
秋田北部の力士達から見るとずいぶん力強く強面の顔つきをしています。一体が無くなっているのが寂しいですね。
拝殿内の様子
本殿覆い屋
鎮守の森の様子
神社入口南に静かな湖面を見せている鶴ヶ池と蓮の花