熊野神社

横手市明永町10(平成22年8月19日)

東経140度34分22.6秒、北緯39度19分30.96秒に鎮座。

 この神社は横手市街地の北東、明永沼畔に鎮座しています。
 道路が二股に別れるところに入口があり、台地上の境内に行くに従って社地は広がっていきます。入口に立つ一の鳥居から境内に至る石段には合計7基の鳥居が奉納され、古からのこの社への崇敬の心が伝わってきます。境内に入ると藤棚の下に水神が祀られ、手水は自然石が組み合わされた関東で言う富士塚のような佇まいを見せています。自然味豊かな境内正面には入母屋造りの拝殿と左に社務所、奥に本殿が建立され、境内社や石碑が点在しています。
 境内背後には明永沼があり、遠くに御嶽山を望める景勝地となっていて、思索に耽りたいとき、静かな散策をしたいときなど最適な神社と思われます。

 御祭神:伊邪那岐大神、伊邪那美大神、速玉男大神、大山祇大神
 祭礼日:旧暦6月8日
 境内社:稲荷神社、田神社、山神社
 由緒:白鳳元壬申年(672)の開創。弘安9年(1286)一遍上人巡国の折に再建されたと伝えられる。城付にあった元宮は本殿7間4面、拝殿12間といわれる。36坊を構え多くの宝物もあったが天文21年(1552)戦禍でことごとく焼失した。城付と現在地の移転を繰り返し昭和56年改築した。
(境内案内板より)

 当神社の草創は第四十代天武天皇の御代、白鳳元年壬申の7月7日役の小角、産子の泣き声を聞いて泣子沢と名づけ、熊野神社を奉安する。現在鳴見沢という。峯の内に穴二つあり、日像、月像を備え、明永山と名づけた。弘安9年丙戌の8月一遍上人巡国のとき、役の行者の仙跡を尋ねて再建。亦秋田城之介成綱の代本殿7間四面、拝殿12間に建号を明永山神宮寺、遍照院と言い三十六院の坊司があった。観応元年足利家より秋田城之介泰長をもって、御朱印、御書判御証文に、吉田、飯詰、八幡三ヶ所より知行三千石拝領、雄勝、平鹿、仙北へ熊野牛王配札、舞獅子、回村の証文、三十六坊へ拝領。天文21年6月小野寺合戦の時兵火にて神社、僧坊ことごとく焼失。延宝8年明永山に移転再建。寛政12年元鳴見沢に移転。天保11年丸山(現在地)に移転。佐竹時代に入ってからも、従前通り配札、舞獅子、回村の永久御免の許可があった。明治6年村社に列した。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)

社頭
入口に立つ一の木製鳥居 鳥居に掛かる額
「明永山熊野神社」
入口にいる昭和6年生まれの狛犬
縦置きで、阿は大きな玉を持ち、吽は子狛を連れています。秋田らしい潰れ顔のほのぼの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和6年(1931)旧6月8日建立)
石段参道途中に立つ二の鳥居
三の鳥居 四の鳥居
五の鳥居 六の鳥居
七の鳥居の立つ境内入り口
境内の様子
藤棚の下の水神と手水
拝殿
拝殿目抜き彫刻
拝殿木鼻・狛犬
本殿
息長帯姫命 唐松大明神
合社
左から不明、豊受大神、稲荷大神
稲荷大神の神使い・お狐様 龍神
境内背後には明永沼があり、遠くに御嶽山を望める景勝地となっています。
絵馬