横手市増田町増田月山1(平成22年8月19日)
東経140度32分49.94秒、北緯39度11分49.14秒に鎮座。
この神社は増田小学校の南約250mに鎮座しています。
342号線・四ッ谷角信号から南に140m程入った右側角に一の鳥居や庚申供養塔、神社案内などが立つ参道入口があります。そこから真っ直ぐ西に200m行くと境内の入口となりますが、参道は桜の並木で春にはお花見が楽しめそうです。
境内入り口には両部鳥居が立ち、元治元年生まれの素敵な秋田狛犬もいます。「月光山」の額が掛かる拝殿は千鳥破風付きの壮麗な造りで、流造りの本殿妻にも彫刻が付けられています。
又、境内には境内社や石碑が多く見られ、古からのこの社への崇敬が篤いことが伺えました。
御祭神:月夜見命、日本武命、伊弉諾尊、大気都比売命、稲倉魂命、水波能売命、天児屋根命、大山祇命
祭礼日:9月15日
境内社:稲荷神社、琴平神社、宮毘神社、愛宕神社、金勢神社、三峯神社、松尾神社、三吉神社、淡島大明神
由緒:当神社は、宝亀11年(780)第49代光仁天皇の御宇当町平鹿の地に平鹿郡府を置いたとき、出羽三山の月山神霊をこの地に勧請し、当地方一帯の鎮守として創建されたといわれる。
また当神社創建には、貞治3年(1364)増田城主小笠原義冬勧請説や応永22年甲午(1415)8月、増田城主小笠原信濃守冬広(光冬の子光広)勧請説もあるが、小笠原氏が増田城築城の時、城近くに当社を勧請したことを伝えるものである。
さらに、羽黒旧記により、増田は古くから月山神の神領として由緒ある地であったことが伺える。
また増田城築城以来、小笠原氏や土肥氏等代々の城主をはじめ豪族や村里人たちの篤い崇敬を受けた。
慶長7年(1602)秋田に移封後の佐竹氏一族の義賢公が増田城に入り、当社を深く崇敬信奉された。義賢公が久保田に移った後も湯沢所領佐竹南家が代々参拝し社殿改築の際には、その棟札に大檀那として、佐竹藩主の名を記し、また維新後は佐竹家紋章を付す灯籠一対を神前奉掲している。
神仏分離後の明治6年郷社に列せられたが同29年村社に訂正され、昭和17年先人達の努力により再度郷社に列せられる。
昭和20年8月15日終戦と共に社格は廃止、現在は二級社認定を受ける。
(「境内案内」より)
応永22年甲午8月、増田城主小笠原信濃守冬広(光冬の子光広)の創立といわれ、出羽三山の月山神霊を当地に勧請奉祀したものである。
慶長7年、佐竹氏秋田に移封以後佐竹家(東家)(南家)より崇敬を受け、社殿改築の際には、その棟札に大檀那として、佐竹藩主の名を誌され、又維新後は佐竹家紋章を付せる燈籠一対を神前に奉掲される。
明治6年郷社に列せられるも明治29年12月11日付社寺局長より回答あり、村社に訂正、昭和17年9月17日郷社に列した。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)
参道入口に立つ一の台輪鳥居 | |
参道入口に置かれた 庚申供養塔 |
参道の様子 |
社頭 | |
神社入り口に立つ両部鳥居 | |
境内の様子 | |
境内入り口にいる元治元年生まれの秋田狛犬 愛嬌がありおっとりと穏やかで、顎髭や鬣、脇毛や尾等の渦巻きが目立ち、あばら骨や筋肉、爪の先まで神経が行き届いた彫りをしている良い狛犬です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(元治元年(1864)甲子正月元日建立) |
千鳥破風付きの壮麗な拝殿 | |
拝殿に掛かる額「月光山」 | |
拝殿目抜き彫刻・龍 | |
拝殿木鼻・狛犬 | |
拝殿内の様子 | |
弊殿と本殿 | |
境内社 | 境内社:稲荷神社 |
境内社:稲荷神社 | 境内社:金勢神社 |
境内社 | 境内社:三峯神社 |
境内社 | 淡島大明神、二十三夜塔、松尾神社 |
淡島大明神、出羽三山 | 三吉神社、二十三夜塔、庚申塔 |
石碑 | 石仏 |
出羽三山 | 北小路采女霊神 |
史跡・月山碑 月山碑(御鷹の碑)案内拡大写真はこちらで |
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