旭岡山神社

横手市大沢上庭当田123 (平成22年8月19日)

東経140度35分9.49秒、北緯39度17分52秒に鎮座。

 この神社は北上線・矢三津駅の北西約1.2km、市指定史跡・天狗館跡地の山上峯に鎮座しています。107号線から横手川を渡り、横手市大沢浄水場脇を通ると、葡萄畑の突き当たりに大杉の並木が見えますがそこが入口で、30m程で藁葺屋根の素敵な神門が建立されています。神門を潜ると左手に石仏が並び、山からの風がヒンヤリと心地よく吹き降ろしてきて、しばらくはボ〜ッと一休み。
 さて目の前に石段が有り、そこを上がらないと山上の神社境内には行き着けません。覚悟を決めてレッツゴー…。標高差220m、距離にして600m、時間にして歩きなれた方は約20分、足の弱い方は30〜40分ほどでしょうか?思っていたより酷く急な箇所はなく、のんびりとしたミニハイキングを楽しみながら登っていくと、木々の間から山上近くに立つ鳥居や石段、境内入り口等が見えてきます。
 両部鳥居を潜ると、境内へ上がる最後の石段の脇に市指定天然記念物・御陰斉の杉が聳え、境内正面に入母屋造り唐破風付きの拝殿や弊殿・本殿が建立されています。石仏や境内社も祀られ、未だに徒歩でしかあがれないこんな山奥の神社にこれだけの社殿を建立できるのは、ひとえに篤い信仰心の現れ…と感心することしきり。
 又、ここには今回の旅のメインテーマである力士さんがいますが、水引虹梁の上にいる象眼の目を入れた力士・二体と社殿前方隅の組み物の上から睨みをきかしている力士・二体の計4体、という変わり種の組み合わせでした。

 御祭神:天忍穂耳命、宇賀之御魂大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、大山祇大神、水波能売大神、白山比売大神
 祭礼日:梵天奉納祭・2月16・17日、例祭・5月17日、丑刻詣祭(掛け唄奉納)・8月9日、講中大祭・11月3日
 境内社:薬師神社、王将稲荷神社、三吉神社、神門神社
 由緒:慶安2年及び文政4年の祠官宅火災により、詳しいことは不明であるが、神社書上帳によれば、大同二年征夷大将軍坂上田村麻呂東征の砌り、ご祭神を勧請創祀せるお社と伝えられる。
 のち鎮守府将軍清原武則が山上峯近く(市指定史跡天狗館跡地)に御堂を建立、爾来源義家公、藤原秀衡公、源義経公、武蔵坊弁慶等々武将武人をはじめ、近隣郷中の人々の崇敬篤く、早くから心願成就、開運授福の神としてその名が知られ、出羽国平鹿郡山川の荘の総守護社と崇められる。
 その後、当地を支配せる領主小野寺氏が殊の他崇敬篤く、横手城主横手佐渡守御社殿を造営(現社殿)、又小野寺遠江守はじめ、代々の城主奉行を遣わして社殿の修復に当られ神田神宝類を数々寄進されている。
 佐竹公秋田に国替え後は、藩主義隆公正保4年御社参、当高5石を社領に付しおかれ(明治4年まで)同義敦公明和6年に御社参、斎料金百疋を御社納くだされておる。
 嘉永7年、雄・平・仙三郡に及ぶ崇敬者の寄付によって拝殿改築、明治5年新社格制度により郷社に列せられたが、一区中二社の必要なき趣きにより、同6年村社となる。同42年3月19日神饌幣帛料供進神社に指定された。
 明治43年7月27日、同9月21日、同10月6日付秋田県知事の許可を受け、山内村小松川、同李原、同南郷、同三又、同黒沢、同土渕、横手市大沢地区の村社及び無格社併せて十四社を同年11月24日付合併、盛大に合祀祭斎行。
 現在に至る。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)

「旭岡山神社」境内由緒書き拡大写真はこちらで

社殿の建つ山上峯(市指定史跡・天狗館跡地)遠景
社頭
社頭に聳えるご神木・大杉
参道入口
杉並木の参道の様子
神門近く右側に聳える杉の根元の空洞に祀られる祠
秋田六郡第十二番 旭岡山観音
藁葺屋根の素敵な神門
神門に掛かる大絵馬
神門を潜るとすぐ左に祀られている石仏
石段参道入口と何処まで続くのかとため息が出る程長い石段
参道は途中から登山道のような様子を呈してきます
参道両脇の杉林
参道は凡そ距離にして600m、標高差220m、時間にして歩きなれた方は約20分、足の弱い方は30〜40分ほどでしょうか?酷く急な箇所はありませんから、のんびりとしたミニハイキングをお楽しみください。木々の間から山上近くに立つ鳥居や石段、境内入り口等が見えてきます。
両部鳥居
境内へ上がる最後の石段と、その脇に聳える市指定天然記念物・御陰斉の杉
入母屋造り唐破風付きの拝殿
拝殿に掛かる額
木鼻・狛犬
水引虹梁の上にいる象眼の目を入れた力士達
社殿前方隅の組み物の上から睨みをきかしている力士達
弊殿と本殿
三吉大神? 石仏
境内社 境内社:王将稲荷神社
境内社