古四王神社

横手市十文字町植田宮ノ前6 (平成28年8月20日)

東経140度28分21.69秒、北緯39度13分27.89秒に鎮座。

この神社は、JR奥羽本線・十文字駅の西6km程の辺り、宮ノ前の街外れに鎮座しております。

御祭神 大彦命・天照皇大御神・伊邪那伎命・伊邪那美命・事代主命・品牟陀分命・稲倉魂命・少名彦名命

由緒
文亀元年植田の地に小鼓城があり、古四王神社は城主大石駿河守誉九郎藤原定景が祀ったものと伝えられ、社祠は北向き、御神像は天那鬼を踏まえた多聞天王(県指定有形文化財)であり、現在の奥殿は明治29年に上棟されたものである。
永禄3年の秋、植田小鼓城主大石誉九郎定景が皆瀬川のほとりを小鷹狩りして分けめぐり、葦原の雨露に濡れた木像を神か仏かと見奉れば、北に向きてましませり。
これはまさしく古四王権現の一柱と思召し、羽織に包みて従者に持たせ、小鼓城の隅は辰巳の方位に、古四王宮として守護奉りしが、今の多聞天王像である。
古四王宮は日々栄え、参詣道は賑わっていたが、文禄5年庄内の最上義光の軍に攻められて植田小鼓城は落城する。
この戦いで城に火がかけられ、古四王殿も危険となるや、多宝院の三世に当たる高勝坊が兵火の中に飛び込み、古四王尊像を命にかけて守り、小鼓城を逃れて里山に潜み時期を待ち、世の乱れも静まり、ほとぼりのさめた頃、植田に立ち帰り一紙半銭の寄付を集めて長い年月を重ねて再び古四王殿を建立したのが今の古四王神社である。(秋田叢書・記述抜粋)
秋田県神社庁公式サイト より。

参道入口

一の鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

二の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


石仏