抱返神社

仙北市田沢湖卒田黒倉139 (平成26年6月7日)

東経140度39分23.18秒、北緯39度36分23.15秒に鎮座。

この神社は、JR田沢湖線・神代駅の南東3km程の辺り、紅葉で有名な抱返り渓谷遊歩道入口近くに鎮座しております。

御祭神 水波能売神

由緒
神社由緒書によると、寛文13年抱返村(現若松地区)開村の際、水源至難の為大和国丹川上神社分霊を勧請して、水波能売神を奉斎し、延宝3年9月16日社殿及び長床を建立し抱返村の鎮守とし、例祭日とする。抱返の地より岩山に穴掘り堰筋を掘り開田を計る。開堰筋の住民の申請により右社地を若松村の社地として許可を受けて現在に至る。神社有地の一角を取入口とする若松堰は付近一帯の重要な水路となっている。また往古より龍神、水分神、養蚕の守護神として遠近各地の崇敬を仰いでいる。
秋田県神社庁公式サイト より。

康平5年(1062.9.7)前九年の役で源義家が盛岡厨川の柵の安倍貞任を攻める為、此の地より玉川の川筋を進もうとし川の流れの静かなる事を願って持仏祀って祈願した。祈願を済した義家は再び持仏を懐にして厨川の柵を攻めたこの戦いで義家は勝利を治めここまで無事に帰ることが出来た。これを喜んで義家は、これも仏のお陰と改めて堂宇を建て懐の持仏を祀ったのが抱返神社の始まりとされ、つまり祈願した持仏を懐に入れ、お守りとして持って行き再び還って来たから「懐き還る」「懐還神社」と言い伝えられています。尚明治維新後に抱返神社と改書された元禄七郡絵図では村の鎮守は水尺明神として図示されているが、現祀神は水波能賣神を祀っています。また往古より龍神・水分神・養蚕の守護神として遠近各地より崇敬を仰いで居ます。
康平5年(1062)に建てられたと言う堂宇もその後幾度か建て替えられた様で延宝3年9月16日(1676)社殿および長床を建てて若松村鎮守とした。
境内由緒書き より

参道入口と一の鳥居

参道

参道を横切る小川

境内入口と二の鳥居

社殿


絵馬

抱返り渓谷に架かる神の岩橋