熊野神社

仙北郡美郷町六郷米町27・28・29 (平成22年8月18日)

東経140度33分8.47秒、北緯39度25分2.03秒に鎮座。

 この神社は奥羽本線・飯詰駅の東北東約3.6kmに鎮座しています。参道入口に立つ一の台輪鳥居から境内入口までは約200m程もあり、今でもかなり広い社地を有しては居ますが、この社の嘗ての社地の広大さを物語っています。
 神社入り口には二基の社号標と二の両部鳥居が立ち、鎮守の杜の大木が薄暗く陰を造る参道を進むと、大正14年生まれの秋田狛犬が護る大きな拝殿と幣殿、垣内に独立して建立されている本殿が建っています。
 境内周囲には大きな森の周囲に多数の境内社や、板碑、子育て観音等が点在しています。
 豊かな杜に抱かれた境内では、夏の暑さも忘れられるくらいヒンヤリとした風が心地よい神社でした。

 御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、事解男命、速玉男命
 祭礼日:8月23日、特殊神事:かけ唄奉納祭(8月23日)
 境内社:金比羅神社、山王稲荷社(修行院)、八色神社(雷神社)、三吉神社
 由緒:社記によれば、大同2年坂上田村麻呂東征の時国家鎮護の為建立した奥羽28社の一つである。
 文治3年武蔵坊弁慶が再建した。
 建久3年鎌倉右大将源頼朝が宣家を使士としてこの六郷につかわし、義経と弁慶慰霊の為社内に三十二神を配祀した。
 二階堂帯刀が当国に下向以来崇敬篤く、代々造営修復し、その裔六郷佐渡守より米2石2斗、銭100貫の寄進があった。
 慶長7年佐竹義宣が当国に遷封した後、社領本田高30石、六郷高野村、六郷本館村、六郷川内池村3村を下掠とし領内崇敬社12社とされた。代々崇敬篤く、旧藩主より直筆の神号額等の奉納が多い。江戸往来の際には料金200疋、名代の場合は100疋の奉納を例としていた。
 明治6年廃藩置県に際し、村社に列し、氏子を付属された。
 万治2年及び明治19年の大火災で、印章、古記録が焼失した。
 現拝殿幣殿は昭和27年に改築された。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)

参道入口に立つ一の台輪鳥居
この奥約200m東に、境内入口があります。
参道の様子
神社入り口に立つ社号標と二の両部鳥居
参道左右に立つ二基の社号標
参道・境内の様子
参道途中にいる大正14年生まれの秋田狛犬
秋田狛犬の特徴を良く備えており、彫りが立体的です。やや堅さが感じられます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正14年(1925)6月建立)
拝殿
本殿
本殿正面の彫刻
境内社:金比羅神社
保侶羽山神社、三十三夜、境内社 征清祈念碑、三吉大明神
境内社 神符授与殿
境内社:湯田三吉神社
鞘堂正面の力士像は、秋田県に多く見られる、社殿四隅の組み物の上にいる力士達が変化した者なのでしょうか?
杉の子子育て観音
「南無十手観世音菩薩」と刻まれた板碑
鎮守の杜の様子