菅原神社

男鹿市脇本字七沢(平成18年7月24日)

 この神社は男鹿半島線・59号線の脇本漁港入り口付近に、道路に面して入口、駐車場があります。境内へはこの階段を登り気持ちの良い参道を徒歩で行くか、脇の車道で奥の駐車場まで行くかですが、お天気の良い日には、のんびりと脇本城跡などの散策も含めて、徒歩での参拝をお薦めします。
 御祭神は菅原道真大神、天照皇大神、白山媛大神、保食大神です。
 神社案内には「主祭神は、学問の神として有名な菅原道真公であり、 鎌倉時代の正応年中 (1288〜93)に安東氏の氏神として京都北野天満宮より勧請・創建され、男鹿鎮護の総社となりました。当初は、脇本城本丸南山上に建立されたと云うことです。天正19年(1591)安東愛季により 再建。
 慶長7年(1602) 関ヶ原の戦いで西軍についた安東実季は、常陸(茨城県)へ国替えになり、このとき、神社の遷座を希望しましたが、当地に鎮座の旨託宣が下り、それ以後は脇本村で維持管理することになりました。
 承応2年(1653) 生鼻崎は地震により山が崩れ、佐竹藩家老真崎兵庫介が飯村開田の祈願成就のお礼として、村人と話し合って社殿を再建しました。文化7年(1810)にはまた地震が起こり、承応の地震とこの地震で生鼻崎は大半が海中に没したといわれています。明治以前は社家(伊藤家)と山伏修験(安後坊、宝倉坊など)が共存していたのですが、明治維新後、修験道は仏教であるという理由から廃止させられました。
 明治以降、村内に祀られていた村社神明社(天照皇大神、伊勢皇大神宮)保食神社(豊受大神、伊勢豊受大神宮)白山神社(白山媛大神、加賀白山比盗_社)を合併し、後に金比羅大神も合祀しました。権現造りの現社殿は昭和57年に建立しました。」とあります。
 脇本城跡に建てられたこの神社は杜が深く、社殿には目を奪われるほどの彫刻の数々、そして何よりも古色蒼然たる雰囲気を漂わせる秋田では特異な狛犬がいて、本当に楽しい刻を過ごさせて貰いました。

神社入口 境内へはこの階段を登り気持ちの
良い参道を徒歩で行くか、
脇の車道で駐車場まで行くか、
二者択一です。
お天気の良い日には、のんびりと
脇本城跡などの散策も含めて、
徒歩での参拝をお薦めします。
天保生まれの狛犬ですが、横広の顔つきの狛犬が多い秋田では、
こんな面長の顔はこの一対しか見かけませんでした。
阿は宝珠を付け首から上が完全に独立した感じがします。
改めてみると全然違うのですが、何故かこの時は
エジプトのスフィンクスを思い出していました、人面顔のせいでしょうか? 
鬣は阿吽で変化があり、短めで古色蒼然たる雰囲気を持った狛犬です。
いずれにせよ秋田では特異な狛犬といえるのではないでしょうか。
(天保?年(1830〜43)建立)
境内入口にいた明治3年生まれの秋田狛犬。
潰れた感じの横広顔で、つり目のアーモンドアイ。
牙や歯がよく見えて、顎髭は左右分け、ドカッと腰を下ろし、貫禄充分な狛犬です。
(明治3年3月吉日建立)
境内への階段 拝殿
向拝には鳳凰の彫刻。
羽毛の一枚一枚まで神経の行き届いた彫りをしています。
挙鼻は黒龍、頭貫は波間に亀の図柄が彫刻されています。
動きがあり且つ繊細、とても見事な彫刻です。
木鼻には黒い狛犬が彫られていますが、顔つきは石造の秋田狛犬とよく似ています。
頭貫の左右下には麒麟と思われる神獣が彫ってあります。
本殿
由緒、狛犬の拡大写真はこちらで