真山(しんざん)神社

男鹿市北浦真山字水喰沢97(平成18年7月24日)

 この神社は男鹿市を代表する霊峰・真山北東麓に鎮座しています。
 主祭神は瓊瓊杵命、武甕槌命で、合殿神は天照大御神、豊受大神、豊玉毘女神、少彦名神、大山咋神、大名持神、塞神三柱神です。
 社伝によれば、12代景行天皇の時代、武内宿禰が男鹿を視察の折、湧出山(現在の真山・本山)に登り、使命達成・国土安泰・武運長久を祈願して主祭神を祀りました。
 平安時代以降、貞観年中には慈覚大師により湧出山を二分し、北を真山、南を本山としたと伝えられます。いらい修験信仰が盛んとなり天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤神明神と習合、真山別当光飯寺が開かれました。南北朝時代には真言宗に転じ、東北豪族の庇護のもと修験の霊場として栄えました。
 江戸時代には国内十二社に指定され、藩主佐竹侯の祈願所となり数々の寄進崇敬がありました。
 明治以降は神仏分離令により元の神域に復し、県社(旧県社)に列格、昭和34年に神社所有の天然杉で現社殿が建築されました。
 特異神事として、柴灯祭(せどまつり)、なまはげ行事が行われています。柴灯祭とは、正月三日境内に柴灯を焚き上げ、この火によってあぶられた大餅を、お山の神に献ずる長治年中(平安末期)より行われてきた祭儀です。この餅を受けとる為に下山するなまはげは、この神の使者「神鬼」の化身といわれています。鬼に献じられた餅は護摩餅(ごまのもち)と称され災難除去の御護符として氏子参詣者に配られます。なまはげは集落の若者たちが面をつけて藁で編んだケデを身にまとい、「泣ぐ子いねが。怠け者いねが。言うごど聞がね子どらいねが。親の面倒見悪り嫁いねが。ウォーウォー」と威厳のある所作で氏子各家をまわり、新しい年の幸福を祈る行事です。男鹿のなまはげは「年の折り目に神が来臨して人々に祝福を与えるという古態をとどめ、古来の民間信仰の一形態を示すもの」として、昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

神社から500mも手前に建つ
一の鳥居
旧光飯寺の山門が明治以降
神社の仁王門となりました。
仁王は江戸時代後期に
秋田藩主佐竹侯により寄進されました。
平成10年に建立された猛犬のような狛犬
(平成10年7月15日建立)
境内への階段 宝篋印塔
社務所に飾ってあった、なまはげの面。歴史を感じさせます。
荘厳な拝殿 瀟洒な本殿
薬師堂入口
薬師堂 薬師堂内の多数の仏像
薬師堂を守る安政4年(1857)生まれの面白狛犬。
こち亀の両さん眉毛で潰れ顔ですが、濃い顔で、阿吽共に鋭い歯が見えます。
後ろ足の絞り出し生クリームのような臑毛が面白い着想だと思います。
(安政4年(1857)6月吉日建立)
境内左手の神楽殿 神楽殿の屋根にはなまはげを形取った
赤・青の鬼瓦が取り付けられていました。
神楽殿内には珍しい六角神輿が二基置かれています。
左側は秋田藩4代藩主佐竹義格侯寄進の御神輿です。
境内の様子
狛犬と由緒の拡大写真はこちらで