御嶽(みたけ)神社

雄勝郡羽後町西馬音内宮廻62 (平成28年8月20日)

東経140度24分13.74秒、北緯39度11分51.31秒に鎮座。

この神社は、羽後町役場の西1.5km程の辺り、宮廻の街中に鎮座しております。

御祭神 須佐之男命・天照皇大神・宇賀御魂命

由緒
正応3年に沙門源親が蔵王権現を勧請したのが創始という。
伝説によると源親は豊年の踊りを伝え、それが戦国領主小野寺一族慰霊の亡者踊りと合流して有名な国指定重要無形民俗文化財「西馬音内盆踊り」に指定された。
貞和2年に境内に「光明真言講碑」建立の後は荒廃した。
時代は下って、京都亀山出身の横手御嶽山別当、仙北・由利二郡の修験先達の沼沢兵部という人が、小野寺一族内紛により天文15年、御嶽山を勧請して再興した。
江戸時代には佐竹藩より修験者の兜巾頭の一人に任ぜられ、雄平仙三郡の88ケ村、170社、71人の別当を治めたという。
藩史等の記録によると有髪帯刀、旦那と呼ばれるという不思議な有様だったという。
明治維新後は復飾し、社名を明学院より御嶽神社に改めて現在に至っている。
尚例祭では宮司のことを「御院代」と称するが、これは多々あるうちの修験時代の名残りと考えられる。
また当地は江戸時代、物資の集積場として決められた日に市が開かれたが、その市神は全国でも例を見ない聖徳太子立像である。
古くは別の地に祀られていたが市神信仰の衰退と共に現在では当社に祀られている。
秋田県神社庁公式サイト より。

参道入口

鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和18年(1943)8月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


前郷神社本殿

末社

石碑