檜山神社

能代市桧山字越王下21(平成18年7月25日)

 この神社は4号線・能代五城目線と294号線・千ノ台桧山線の合流地点から少し南に降り、桧山川を渡ったら右折。700m程進むと右手に鎮座しています。未舗装で下草の生えた参道入口の両部鳥居脇には自転車が置かれ、神社が何処にあるのか全然見あたりません。鳥井脇の小屋で、藁の加工をしているおばさんがいたのでお聞きしたところ、「このままこの道を進むと左側に入口があるよ。」と教えてくださったので、車は脇の農道に置き、歩いていきました。少し行くと「古四王神社の杉入口」の案内があり、その奥に境内への階段が見えました。苔むし、角がすり減った階段をあがると、一面の杉の美林。その中央に拝殿が建ち、右手には根本に祭壇が造られた坂上田村麻呂が手植えしたと伝わる千年杉が聳えています。その巨木の根元からは「亀井の水」と呼ばれる清涼な清水が湧き出していましたが、今はほとんど湧いていません。 足下にはとても小さくて可愛い狛犬がチョコナンと座っていました。まさに千年を経た古社の風格が漂う素敵な神社でした。
 能代市教育委員会の案内によると「伝承では坂上田村麻呂が大内田、柏子所の蝦夷征討のおり、戦勝祈願して神社を建てたと伝えられています。越王という地名からも、古代中央政権の影響がこの辺りまで及んでいたことが伺えます。古四王神社は明治末期に愛宕堂など周辺諸社を合祀し、檜山神社と改称しました。」とあります。その愛宕堂は合祀以前は、桧山城の山麓霧山下にありましたが、今その跡地には、霧山天神宮が鎮座しています。
 古四王神社は、『秋田風土記』に「霊亀山と号す、檜山惣鎮守、別当修験正行寺、神体は長三寸の金像なり、開基田村丸。渟代の地へ建立し賜う。其後此処へ遷す」とあります。伝承では、元亀3年(1572)に安東愛季が再建し、寛文5年(1665)には多賀谷佐兵衛が再建したと伝えられています。

 さて余談ですが、参拝を終えた私達が車へ戻ると、先ほどのおばちゃんが、「何処からきたの?神社へ何しに来たの?」とお聞きになるので、「日本中の神社を参拝しているのですよ。」とお話しすると「私は納豆のつとを造っているんだよ。檜山納豆といって、秋田音頭にも唄われている有名で美味しい納豆だよ。すぐそこに造っているところがあるから案内してあげよう。」といってミニバイクで先導し、工場に連れて行ってくださいました。そこで今回のお土産は納豆と決まり、その納豆工場でもおばさんの紹介で神社談議をひとくさり。するとご主人が「上母体の八幡神社にはもっと大きくて良い狛犬が居るよ。」と教えてくださいました。そこは地図に載っていないので行く予定がなかったのですが、狛犬が居ると聞いては行かないわけにはいきません。急遽上母体へと向かったのでした。
 (追記・檜山納豆は本当に納豆自身で自分を強力に主張しているような、納豆の中の納豆でした。コシも香りも強く大きめの豆で、納豆好きには懐かしく、納豆嫌いにはとことん疎まれる、そんな製品です。尚、通は塩で食するそうですが、関東人の我々はやはりお醤油味の方が好みに合いました。)

神社入口。長閑な風景です。 古四王神社の杉
入口の案内
境内への参道は階段です 境内入口を振り返る
境内入口にいた、とても小さくて可愛い狛犬。阿吽共に上顎が欠けています。
直置きで耳が立ち、平歯です。体中に瘤があり、顎髭は首の下につき、鬣は短めです。
小さいながらも力強く逞しく、良い彫りをした、結構古い物なのではないでしょうか。
拝殿 拝殿内の様子
市指定天然記念物・古四王神社の杉
坂上田村麻呂が蝦夷征討のおり、
この杉を手植えしたと伝えられ、千年杉ともいわれています。
昭和53年4月26日、市の天然記念物に指定されました。
本殿
山神宮、金比羅宮碑