八幡神社

能代市柳町(平成18年7月25日)

 この神社はJR五能線・能代駅の西約600m、市街地の真ん中に鎮座しています。けれど広い社地に鎮守の杜が守られ、町中にいるのを忘れるほどの静寂に包まれます。ここにも日吉神社同様、伊多波氏奉納の明和6年(1769)の狛犬が居ました。
 案内に「御祭神は八幡大神、住吉大神、恵比須大神。
 斉明天皇4年(658)越の国の国司・阿倍魁羅夫が蝦夷討伐の折、蝦夷降伏の八幡と号して海岸中嶋に鎮祭し、延暦年間(797〜805)坂上田村麻呂が東夷征討の時、御旗を納めて戦功を報賽したと伝えられています。
 弘治の頃(1555〜1557)川筋が変わり中嶋欠流につき愛宕山に遷座し、慶長年中(1596〜1614)磐若野に遷座しました。江戸時代には藩主佐竹氏の崇敬が篤く、元禄7年(1693)現在地に遷座、同9年(1695)本殿・拝殿を造営しました。」とあります。
 また境内社も多く、特に龍神社では、戊辰戦争の折、勤王方がここで密議をしたという由緒があるそうです。

社号標「鎮守 八幡神社」 神社入口
昭和7年生まれのデブ系秋田狛犬。
太めですが、威厳に満ちあふれた良い彫りの狛犬です。
石工の一人である三輪嘉尚さんは河戸川大塚の神明社でも良い狛犬を造っています。
(彫刻・三輪籐吉 三輪嘉尚  昭和7年正月吉日建立)
境内の様子と二の鳥居 大きな拝殿
この狛犬は江戸中期の明和年間、秋田で活躍した鉱山師・伊多波武助が奉納した物です。
羽後鉱山を開発した伊多波武助は、鉱山師として長年にわたって藩財政に貢献したことによって、
士分に取り立てられた人物です。伊多波氏の出身は、伊勢国多気郡波多瀬村で、
秋田藩佐竹氏の身分取立ての際に郷里の伊勢・多気・波多瀬にちなんだ「伊多波」姓を名乗るようになったといいます。
伊多波氏はその後も鉱山師として藩に貢献し、藩も伊多波氏を重用していた様です。
この狛犬と同年同月日同石工建立の兄弟狛犬が、能代市御指南町の日吉神社にも奉納され現存しています。
どうも此方の方が、苔がつき色も黒ずんで、若干摩耗もあり、お年寄りっぽく見えます。
 この子達は私達が今回秋田で見てきた狛犬の中で一番の高齢です。  拡大写真はこちら。
(明和6年(1769)正月吉日建立)
本殿 境内社・三吉神社
三吉神社額 三吉神社社殿内の様子
境内社・金神社
境内社・住吉龍神社