八幡神社

能代市母体上母体家ノ下14(平成18年7月25日)

 この神社は上母体の集落内に鎮座していますが、地図には記載がありません。奥の奥に入ったところなので普通は見つけられない神社でしょうが、今回私達は幸運なことに、檜山納豆製造工場のご主人様から、この神社の存在を教えて頂きました。
 案内が無く、何とか由緒が知りたいとウェブ上で探していたら、何と「china.net」で引っかかりました。そこには「母体八幡神社最初是坂上田村麻?征伐?夷??祭祀宇佐八幡?大神而建的。元?3 年(1572)由安??季在原址上重建。?在我?能?到的神社是位于桧山城鬼?(?北角) 附近,与?安?氏合流后的?季?祈武??久而再建的。」とあります。
 分かる範囲で要約すると「母体八幡神社は、坂上田村麻呂が東夷征伐の為、ここ秋田に下向した際、宇佐八幡宮から八幡大神を分霊勧請、祭祀したのが始まりです。元亀3年(1572)には桧山安東氏が社殿を再建しました。現在地は桧山城の鬼門付近にあたるので、桧山安東氏が武運長久を祈願するため遷座したのでしょう。」という事かな?
 またGoogleで文章翻訳をしたら「母体の8幡の神社が最初に坂上と田村と麻呂がエビの外国を征伐するのだ時宇に祭りを営んで8幡の宮の巫女を助けるために建てる。元のカメの3年(1572)はアントンから季前の場所の上で再建することを愛する。今私達の会うことができる神社はイブキの山地の都市の鬼扉(東の北角)の近くに位置するので、アントン氏に集まることと合併した後の愛は季武運を祈るのが長いために更に建てる。」という思わず笑ってしまう文章になりました。
 私達もしばしば地元の方達に呆れられる、相当マイナーな事をしている変人? と自覚していますが、この人は母体八幡神社のみならず、桧山の事をかなり詳しく調べているようです。一体どういうお方なのでしょうね、俄然興味が湧いてきました。
 またここには、永禄の頃修験大鏡院照山師によって伝えられたとされている、県指定無形民俗文化財「桧山舞」が継承されています。これは師が上方にのぼり、田楽の一種山伏神楽を習得して帰ったもので、19番の舞が伝承されており、各舞の初めに拍子木で舞台を叩き拍子を取る、幕出の唄が歌われるというものだそうです。

神社入口 階段の参道
確かに境内の入口には、昭和3年生まれの堂々たる秋田狛犬が居りました。
筋肉質で立派な体格、のこぎり歯がよく見えて、阿吽共に咆哮する狛犬です。
顎髭、鬣、尾全てが渦巻きで表現されています。
でもここも奥ゆかしく、爪は奥に引っ込められています。
(昭和3年11月10日建立)
拝殿 本殿覆い屋
末社二社 境内社
境内社・奇妙延命大神 社殿前から境内を振り返る