仁賀保神社

にかほ市平沢清水60 (平成22年8月17日)

東経139度57分51.46秒、北緯39度17分15.65秒に鎮座。

 この神社は仁賀保駅の北西約300m、江戸時代にこの辺りを治めていた直参旗本・仁賀保氏の陣屋跡(現在の仁賀保公園)に鎮座しています。
 公園入口左にはその頃のお堀跡も残り、社殿の建つ境内は小高い丘の上。社号標は「齋藤神社」「仁賀保神社」とあり、仁賀保公園内には農政に貢献、産業開導に力を尽くし、仁賀保の発展の基礎を築いた衆議院議員・齋藤宇一郎翁の銅像が再建され、又参道脇には宇一郎翁の甥御さんで陸軍中尉となり、その後町会議員、産業組合長、仁賀保電気組合長、郵便局長などを歴任された齋藤雅雄翁の銅像が建立されています。
 神橋を渡り、石段を上がると境内で、正面に社殿が建立され、右手には土俵、境内周囲からはにかほ市の町並みが綺麗に見えます。

 御祭神:仁賀保伯耆守友挙霊神、仁賀保兵庫守挙誠霊神、倉稲魂神、齋藤宇一郎之命
 祭礼日:7月12日
 由緒:大井伯耆守友挙霊神は応仁元年足利将軍の命を奉じ由利十二頭の旗頭として信州より下向、現芹田港に着船、後、山根城を築き仁賀保郷を統治す。
 挙誠霊神は元亀、天正より慶長、元和にかけよく武威をあらわし徳川将軍によって1万石の大名に取り立てられた仁賀保家中興の祖である。
 倉稲魂神は仁賀保家の氏神芹田字高磯鎮座、稲荷神社より分霊す。
 齋藤宇一郎之命は農政に貢献産業開導に力を尽くされ昭和25年7月1日合祀す。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)

 仁賀保神社は、仁賀保氏の始祖「友挙」と中興の祖「挙誠」を祭神とする仁賀保氏の邸内神でありました。明治維新のあと祭祀を主催する者がなく、荒廃しようとしていたため、明治15年、宇一郎の父茂介や遠田勇記ら旧家臣と領内31ヶ村の有志が「庶民参拝」の許可を得、陣屋跡に社殿を建てて「仁賀保神社」としました。
 齋藤宇一郎記念会は、戦時中も欠かすことなく慰霊と顕彰の行事を続けてきましたが、戦後、宇一郎を「神」として末永く遺徳をしのびたいという声が高まり、神社本庁に仁賀保神社への合祀を申請し承認を得て、昭和25年7月12日、齋藤宇一郎は「神」として、仁賀保神社にまつられました。そこで、現在「仁賀保神社」は、「仁賀保・齋藤神社」とも呼ばれています。
 祭典は、毎年7月12日に行われています。
(「旧平沢小学校HP」より)

社頭
入口に立つ社号標「齋藤神社」「仁賀保神社」と神明鳥居
齋藤雅雄翁の銅像 「宮崎栄吉翁之碑」「伊藤真平翁之碑」
参道の様子
神橋
神池
石段参道
石段参道脇に聳えるご神木
境内入り口
境内の様子
仁賀保・齋藤神社拝殿
仁賀保・齋藤神社幣殿と本殿
手前の雛壇は相撲観客席になるのでしょうか?
境内社:船玉神社
(齋藤家所有。
廻船問屋をしていた時代に海の安全を願い建立される。)
土俵
鎮守の森とご神木
境内から見下ろすにかほ市の町並み

注:平成15年3月23日、齋藤雅雄翁のお孫さんよりメールをいただき、記述の訂正・補足をいたしました。ありがとうございました。