南秋田郡八郎潟町夜叉袋字一向堂17(平成18年7月26日)
この神社は奥羽本線・八郎潟駅の北約1.3kmの線路際に鎮座しています。
創建は不詳ですが、千数百年前神功皇后が、三韓征伐の航路の途中に激浪に遭い漂流し、蝦夷ケ港に御着して、下羽立村に諏訪明神を祀り、武運長久を祈願したと伝えられています。寛政10年(1470)には、信州諏訪本宮より御神像と御室を頂いたようです。御祭神は、建御名方神で、明治5年6月、村社となっています。境内社に神明社、太平山三吉神社、稲荷神社があります。
六角型の神輿は、正徳4年(1713)藩主・佐竹公より男鹿真山神社へ奉納されたもので、そのうちの一興を明治8年(1875)に譲り受けたもので、男鹿真山神社で拝見した神輿と兄弟神輿だそうです。
鬱蒼とした豊かな鎮守の杜の中、八郎潟町指定文化財の社殿や与謝蕪村句碑、狛犬が二対など、ゆっくりと拝見させて頂きました。その時管理されているご婦人に、現在三吉神社の建っているあたりに、昭和まで子供が十人以上手を繋がないと一周出来ないほどの幹回りの大木があったのですが、社殿の改築費用捻出のため伐採されてしまったというお話を聞きました。「今あの木が残っていたら、たいしたものなんだけどね〜。」と、とても残念がっていらっしゃいました。