南秋田郡八郎潟町一日市318(平成18年7月26日)
この神社は奥羽本線・八郎潟駅の南約600m、八郎潟町市街地の中に鎮座しています。
入口には狛犬がおり、参道には神狐さんがいます。大正時代に沢山の合祀社を受け入れたようですので、その中に稲荷神社もあったのでしょう。大木はありませんが清々しい境内奥には、片拝殿のような大きな社殿が建っていました。
創建は分かりませんが、大正の初めまでは八郎潟諏訪神社と云っていました。大正3年近隣の無格社及び境内社を村社・諏訪神社に合併認可がおり、翌年4月合祀遷座祭を行ったそうです。そのおり、若宮八幡神社も合祀されましたが、この社は眼病に霊験あるとされ、押切村にあった押切城主・三浦五郎盛季を祀った社だったようです。
また、5月5日の例祭に奉納される「願人踊(がんにんおどり)」は秋田県の無形文化財です。願人とは、山伏、修験者のことで、伊勢や熊野信仰普及のため、村回りの芸人として各地を巡り歩いた人達の事で、この地に踊りが伝わったのは250年以上前でした。
願人踊りは、踊り子、歌い手、寸劇をつとめる定九郎と与一兵(ジッチャ)、それに豊年満作の文字を大書きした幣束札をささげ持つ音頭あげによって行われています。衣装は、寸劇を演じる二人を除いて全員が女物の襦袢を着て、歌い手と音頭あげは色だすきを十字がけにします。踊り手は、前垂れを腰にたれ手甲、脚絆をつけ菅笠を背負い杖を持ちます。演目は、「イヤンヤー」、「コンノエ」、「口上」、「アンマサエ」、「伊勢ジャナエ」、「オーイナイ」、「メデタナエ」、「桃太郎」と続き、この演目のすべてが伊勢音頭を基本とした、歌と踊りです。(「みちのくの芸能」より)