浮嶋神社

大仙市刈和野字上ノ台221(平成22年8月18日)

東経140度22分53.56秒、北緯39度32分26秒に鎮座。

 この神社は奥羽本線・刈和野駅の南東約800mに鎮座しています。「浮嶋」の名は、「近くを流れる垂川が洪水を起こした時は浮き上りただよい、水が減ると共に元の位置に戻る」と言われている為だそうですが、神社の鎮座する一画は現在も小丘となっており、付近一帯が灌水していてもこの社の鎮守の杜だけはポッカリと水の中に浮いているように見えるのではなかろうか?と想像できる地形をしています。
 社号標の立つ入口は狛犬が護り、右手奥に竜神を祀る太平山神社があります。石段を上がっていくともう一対安政5年生まれの狛犬が居て、左には出羽三山等の石碑が纏められた覆い屋があり、尚も石段は境内へと続きます。二の鳥居が立つのが境内入り口で、正面には千鳥破風付き入母屋造りの大きな拝殿、神明造りの本殿が建立されています。
 社地の北側には奥羽本線の線路が通っていますが、深い森が騒音を吸収しているのでしょうか、静かで気持ちの良い参拝ができる神社です。

 御祭神:大名持神、少彦名神、天照大御神、事代主神、大山祇神、加具土神、菅原神、天之御中主神
 祭礼日:5月3日、特殊神事:大綱引(2月10日)
 境内社:太平山神社
 由緒:不詳なるも口伝承によれば、垂川(土買川)に架かる垂跡橋(旧水尺橋)東南方の中島(通称出根島)の小丘に、養老年間村の鎮守神として創立される。垂川の洪水時は浮き上りただよい減水と共に元の位置に復する故「浮嶋神社」の名称をつけたと言う。付近一帯現在も浮島の地名残存する。
 且つ神社のかたわらに「竜神」を祀る小社があり、浮嶋神の使い神であるが、気性激しく洪水時は荒神となり、垂跡橋の流失や通行する人馬の死傷が絶えなかったので、「人身御供」等行われたが、天正10年これに替るものとして大綱引が行われ神事として現在も続いている。(国の民俗無形文化財指定)
 享保8年佐竹藩の許可を受け現在地に移転、神社を建立祭祀される。のち境内を広げ神社形式の建物となる。文政5年改築される。
 次いで、明治5年神仏分離により12社を合併。同2月1日付で村社となり、明治39年9月17日2反9畝10歩境内地編入が認められ同40年2月10日神饌幣帛料供進指定神社となり、同9月1日神明社合併。
 昭和38年〜39年にかけて全面改築をなし現在に至っている。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)

社頭
神社入口
神社入口に居る昭和8年生まれの狛犬
筋肉が盛り上がり脚の腱が引き締まった、精悍で力強い秋田狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和8年(1933)癸酉旧4月8日建立)
社号標 一の台輪鳥居
石段参道の様子
石段参道途中にいる安政5年生まれの狛犬
入口の狛犬のモデルでしょうか? 筋肉が盛り上がり脚の腱が引き締まった、精悍で力強い秋田狛犬で、鬣や尾も派手目です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(安政5年(1858)戊午6月建立)
参道左に纏められている出羽三山等の石碑
境内入り口に立つ二の台輪鳥居
境内の様子
拝殿
拝殿脇障子
弊殿と本殿
境内社:太平山神社 宝物庫?
明治37・8年役祈念碑 湯殿山