八幡神社

大仙市大曲丸の内町4-6(平成22年8月19日)

東経140度28分40.63秒、北緯39度27分35.39秒に鎮座。

 この神社は大曲駅から南西に約600m、丸子川北岸土手近くに鎮座しています。現在その遺構はこの社にしか残っていないようですが、神社境内と参道は大曲城土塁の上にあり、一帯が城域であったとされています。
 大曲城は、貞治5年頃安倍氏によって築かれたと云われており、室町時代の長禄年間のころには金沢城主金沢右京亮の家臣大曲夷隅守が居城していました。その後、明応の頃には前田道信が居城して小野寺氏に、子利信の時には戸沢氏に臣従しました。 天正18年、戸沢三十五城の一つに数えられた大曲城は、秀吉の命により廃城となります。慶長7年、佐竹義宣が出羽へ移封され、重臣梶原美濃守が大曲城代となりますが、元和元年の一国一城令により廃城となりました。
 大曲城土塁上に造られた社地は周囲より約4m程高く、入口から境内までは約150m程、細く長く続いています。途中に県指定有形文化財・虎王丸の五重の層塔や石碑群があり、大きなご神木の根元を回り込むと境内。お寺の様な造りの拝殿と高く造られた本殿が建立されています。

 御祭神:誉田別大神、仲姫大神、大帯大神
 祭礼日:旧暦5月25日
 由緒:「羽川秋田神社縁起」の文中『向に、どや館と申処に阿弥陀堂、観音堂』とある阿弥陀堂が八幡神社となった。と菅江真澄は考証している。
 「羽陽仙北伝記」に永享9年秋田定季が仙北に侵入したとき、本堂伊勢守親貞が300余騎で「土屋の八幡」のうしろに陣地を定めたとある。
 大曲城の鎮護の神で、前田氏が崇拝し、落城後も前田氏の家臣佐藤大学が奉祀し、虎王丸の碑を祀っていた。境内には、昭和31年5月21日に秋田県重要文化財に指定された「虎王丸の五重の層塔」がある。中央と左右側面に月輪を刻み、種子を彫る。中央はア、右はアク、左はアーで、発心、発行、涅槃門の種子。中央月綸の右に「為虎王丸」、左に「元享三年七月五日敬白」と刻銘されている。紀年銘のある塔身は鎌倉末期の五輪塔の地輪、五層の笠や宝珠は室町期の五重の層塔であり、また、五輪塔は鎌倉期北条氏の徳宗御内人であった安東氏との関連が深く、元享3年の紀年は大曲の地名が初見される正和元年より10年下がるだけで歴史的に最も重視されている。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)

神社入り口
参道の様子
県指定有形文化財・虎王丸の五重の層塔
参道の様子
参道脇の石碑群 石仏
境内入り口
拝殿
本殿
庚申塔
神社後方を流れる丸子川