八幡神社

大仙市神宮寺33(平成22年8月18日)

東経140度26分1.15秒、北緯39度29分11.87秒に鎮座。

 この神社は神宮寺駅の南東約800mに鎮座しています。参道入口から社殿までが約120m、その間参道両脇には大樹が聳え、しっかりと杜が護られています。境内入り口では建立年代不明の端正な秋田狛犬がお出迎え、嬉しくなります。両部鳥居を潜ると両脇は杜、中央は明るい草原の境内中央に参道が通り、正面に唐破風付きの豪壮な拝殿が建立されています。大きな流造りの本殿は幣殿で拝殿と繋がれており、拝殿内には陶器製の狛犬も居ました。稲荷社等の境内社も点在しています。

 御祭神:保牟田和気命、加句槌命
 祭礼日:9月15日、特殊神事:大旗背負神事
 境内社:神明社、天神社、稲荷社、市杵島神社
 由緒:或る説に大宝元年創建という。
 大同2年田村麻呂将軍が秋田男鹿寒風山に住む大猛丸退治に下向の折、神宮寺にて兵を募り、首尾退治の時は社殿新築する旨祈請し、帰陣の際当村へ家徒の中普請係を残し、字隠里という所に神社建立して、永久社守として6人を付置き、現在も続いている。
 寛治3年八幡太郎義家公奥羽征伐の折、当社信奉し軍功あり、帰陣の際多数奉納するも現存は、「八幡大菩薩(一流)」「七僧一二天の仏画(唐の顔躯筆)のみである。
 後社伝によればに、源頼朝再建、戸沢上総之助再建とある。
 佐竹公水戸より遷封されてより累代の崇敬社となり、社領30石賜わり江戸往復時に必ず参拝する。
 現在の本殿は宝永3年義格公再建であり、安永年間の大洪水にて川欠多くの家流失し、危険となり現在地に遷座する。
 幣殿拝殿は明治12年建立す。
 明治4年郷社に列し、同14年10月県社に列する。
 同39年神饌幣帛料供進神社に指定される。
 大正3年愛宕神社合祀する。
 平成元年3月に、社殿改修奉賛会設立され、神社大改修工事施行し、11月完成を見る。
(「秋田県神社庁公式サイト」より)

 この社は神宮寺岳にある「嶽六所神社」の里宮とされている。
 嶽六所神社は社伝では大宝年間の創建といい、式内社である「山本郡 一座 小 副川神社」のあった場所とされている。
 中世には修験道の影響で観音信仰や八幡信仰の場となり、本来の祭神が忘れ去られていた。江戸時代に入り秋田藩主佐竹義格が藩内古社の復興を行った際に現副川神社(現秋田県八郎潟町)の場所が比定地とされ、秋田藩三国社に列せられているが、古代山本郡は近世以降の仙北郡であり、皇學館大学や郷土史家等の調査ではこちらが本来の副川神社であるとされている。副川神社の論社には、他に添川神明社(現秋田県秋田市添川)(志賀剛氏説)があるが、一般的には本神社と里宮である八幡神社が古社地であり、近世に復興されたのが現副川神社と言われている。
 里宮である八幡神社は、810年頃(大同年間)伝創建とされ、1872年(明治5年)郷社となる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社号標 参道入口
参道の様子
境内入り口
境内入り口に居る建立年代不明の秋田狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
境内入り口に立つ両部鳥居
境内の様子
拝殿
拝殿目抜き彫刻・龍
拝殿木鼻・狛犬
拝殿内の様子
拝殿内にいる陶器製狛犬
幣殿
本殿
境内社:稲荷社
境内社二社 境内社と大正6年大漁祈念碑