水神社

大仙市豊川観音堂57 (平成26年6月6日)

東経140度35分26.47秒、北緯39度32分50.90秒に鎮座。

この神社は、JR田沢湖線・鶯野駅の南東3km程の辺り、観音堂の街中に鎮座しております。

御祭神 水波能売命

由緒
諸記録に神社創立日を貞享2年8月20日と定められている。寛文年中、当地の豪農、草g理左衛門が田畑開発を注進、延宝5年3月より開田堰筋掘り工事中、地下より古鏡一面を発見、秋田藩公の御覧に供し、向後堰神として奉斎し鎮守する様仰せられ、境内地も定められ草葺の古堂に祀られた。
貞享2年8月本堂を再建し、御神鏡・水神として奉戴する。 古来よりあった草堂の豊受大神・大山祗神・猿田彦神を境内元宮地に板堂を建立、現在は石堂。八幡大神は隣地国見村へ分祀し八幡神社とす。元禄13年8月に本堂を3間・4間に新築。享保19年再建し近在の崇敬を高める。
当神社は明治初年まで観音堂と称していたが、明治9年水神社と改め、祭神・水波能売命を奉斎することとなった。
秋田県神社庁公式サイト より。

線刻千手観音等鏡像
現在秋田県唯一の国宝であり水神社の神体であるこの鏡は、もともとこの神社に奉納されるために作られたのではなく、工事中に偶然発見されたものである。1677年(延宝5年)玉川から窪堰川まで水路(下堰)を引いている途中、野中村三采女谷地(みむねやち)の地中1.5mから古鏡が発見され藩主の佐竹義処に差し出したところ、堰神として祀るようにと言われた。そのためこの水路を掘っていた草g理左エ門が水神社を創建し奉納した。1938年(昭和13年)7月4日、「瑞花蝶鳥八稜鏡(ずいかちょうちょうはちりょうきょう)」の名称で旧国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定され、1953年(昭和28年)11月14日には「線刻千手観音等鏡像(せんこくせんじゅかんのんとうきょうぞう)」の名称で文化財保護法に基づく国宝の指定を受けた。その後11月14日は発見地中仙町の町の記念日となった。
「鏡像」とは、金属製の鏡の表面に仏・菩薩などの像を線刻等で表したものである。本作品の鏡の直径は13.5cm、厚さ7mm、重さ520gの白銅製。鏡面には細い線で仏像が彫られている。鏡面中央には蓮台に立った十一面千手観音像を表し、左右に眷属8体、向かって右下に婆藪仙人(ばすせんにん)、左下に功徳天が配されている。鏡背は中央につまみがありそれを囲むように蝶、鳥、さらにその外側に宝相華が表されている。鏡背の模様の上には「仏師僧 崇紀 大趣具主延暦僧仁祐 女具主藤源安女子」の線刻銘がある。作風や銘文から、鏡自体は平安時代初期、線刻は平安時代後期(11世紀)の制作と推定される。銘文中の「仏師僧崇紀」(鏡面の線刻を行った僧)については不詳。「具主」は「旦主」すなわち施主の意であり、「延暦僧仁祐」は、11世紀半ばに延暦寺で活動した同名の学僧に比定される。「藤源安女子」は「源安の娘」の意であり、源安(みなもとのやすし)は源綱(渡辺綱)の孫にあたる武士である。
線刻千手観音像等鏡像を見られるのは年に一度の例祭の中で公開される僅か一時間ほどであるが、レプリカは中仙市民会館に常時展示されている。現物は本殿に保管されていたが、環境が悪かったため2007年11月16日本殿奥に新たに建造された専用の保管庫に移された。
ウィキペディア より

国宝線刻千手観音等鏡像

文中にも登場する中仙町は現在存在しません。平成17年大仙市の一部となりました。

参道入口

参道

境内

拝殿

本殿

御神鏡保存庫

米沢山普門寺。明治以前の名称でしょうか。通称は水観音だったようです。
市指定文化財の御神木