秋田市寺内児桜1(平成18年7月26日)
この神社は秋田城跡の600m南東に鎮座しています。
案内には「現在の祭神は大彦命(こし王)と武神・武甕槌命の二柱です。
由緒:初め北辺鎮護の拠点秋田城の守護神として城内に祀られ、中世以降にいたり、産土神として土豪や地方民に崇敬されるようになった。
寺内住民を氏子とし、若者講を中核とする祭祀組織や、厳しい物忌・精進潔斎などで知られ、古四王講や八日講などの信仰集団の名残もある。」とあります。
現在の御祭神は大彦命と武甕槌命ですが、本来の御祭神は「越王」(越の在来神)あるいは「齶(ガク)田浦神」(阿倍野比羅夫が蝦夷討伐に来た時、齶(ガク)田蝦夷恩荷が服従に際して誓いをたてた在来神)ではないかともいわれているそうです。江戸時代までは秋田城内の四王寺と結びついて古四王権現と称されていました。
秋田城跡の残る寺内地区は、秋田の文化発祥の地であり、「続日本記」の天平5年(733)の記録に「出羽柵を秋田村高清水岡に遷し置く」とあり、この出羽柵が秋田城です。以来平安末期まで約300年にわたり、当時の日本の最北端の城郭として威勢を振るいました。最盛期には兵五千、馬千五百の兵力を持ち、出羽の国府も置かれて、多賀城鎮守府(宮城県)と並ぶ東北二大拠点の一つだったそうです。また阿部比羅夫が秋田の浦に来て古四王神社をこの地に勧請した時、にわかに霊泉が湧いたので「高清水の岡」と称されたとも伝えられているようです。(秋田酒類製造株式会社・高清水の由来参照)