秋田市太平黒沢払沢(平成18年7月23日)
この神社は太平黒沢払沢地区の28号線に面して鎮座しています。社地にはいるとすぐに樹齢300年の大杉の並木が聳え、豊かな杜の中には境内社が点在しています。入口には今回見てきた狛犬の中で3番目に古い変わり種が居て、またこちらとしては珍しく社殿前にももう一対鎮座していました。
案内によると、
御祭神:受鬘神(うけのりかみ)、天照大神、宇迦魂神。
由緒:創建は古く、かっては金峰山膳重寺とも称し、鎌倉時代、御家人上杉安房守、古山内采女之助が法力館にこもるとき、軍神として大和国吉野勝手明神を勧請したと伝えられる。
その後、明暦2年(1655)4月には森沢に金根宮として遷され、明暦6年(1666)7月には、本願人渡辺主殿助、綱田野半左衛門、当村弥左衛門らが相議って、その地より再び遷宮をして現在地に建立されたものである。
この間、城代家老戸村十太夫は特に崇敬の念が篤く、十六の御尊体を寄進したと云う。
また神殿の中には古い仏頭が納められており、一に運慶の作と今に伝えられている。
明治5年(1872)には村社に列格されたが、零落著しく、明治8年1月に再建される。
明治42年(1909)11月に館越鎮座の神明社と、稲荷鎮座の稲荷神社を合祀する。
昭和58年8月には本殿、幣殿、舞堂の屋根を全て銅版葺に改修し、翌年八月には大鳥居が再建されて現在に至る。
本社は氏子の崇敬も篤く、村中こぞって参詣のあとを断たないが、文化年中には、秋田藩主佐竹義和公をはじめ、那珂通博、菅江真澄、淀川盛品らの武士から文人墨客の参詣崇拝があり、近代には農林大臣町田忠治らの参詣もあった。
古くより勝手明神として崇められ、勝利成功の神格を有することから、特に武家に信仰されてきたものである。
また、男児、女児いずれも子守の神として心身健康を守護し給う神とされている。
境内に樹齢三百年の杉並木が存し、神宛一層の荘厳さを極めている古社である。
古儀伝承(特殊神事)
春秋の祭典には、飯の他は火食を断ち、生汁を調することが古例であったほか、たくあんがっこ、おぼこ餅を神前に供するものである。
氏子中に男子が生まれると弓矢を奉納し、女子の出産には菖蒲を植えるのが習わしである。
氏子中の黒沢部落は、箕の特産地として、当地でも稀なるものであるが、勝手明神の授け給える技術として、これを信奉して、この生業を他郷にて営むことを固く戒められてきたものである。
境内神社:大山祇神社、金山彦神社、菅原神社の三社を祀り、俗に三宝荒神とも称される。
とあります。
(注:【箕 み】穀類をあおって殻・塵などを分け除く農具。竹・藤・桜などの皮を編んで作る)