石龍神社

秋田市寺内神屋敷(平成18年7月26日)

 この神社は寺内小と道路を挟んだ反対側に鎮座しています。社号標脇には、この神社が建っている小丘が根笹山古墳と書いてあり、どうも小さな円墳上に神社が造られたようです。
 その案内によると、「六郡の水難を治め功績のあった那珂惣逹が、上洛の途中瀬田の龍神に本国の水難除けを願うこと4回に及んだ。享保6年(1731)湯沢で石龍を得、官に請うてこの地に祀ったのが始まりといわれている。祠は古墳の石棺を利用したとの説がある。」とあります。古墳の造られた場所は風水上の好スポットらしく、後世になり神社が建立されることがままあるようです。
 「瀬田の龍神」とは、その昔、琵琶湖から流れ出た瀬田川に架かる橋・瀬田の唐橋そのもが霊験あらたかな龍神の社とされ、唐橋中央の橋杭が龍神の御霊代と考えられていました。ここには年配者にとっては有名な伝承が、「近江昔話」として残っています。『あるとき、瀬田の唐橋を通りかかった藤原秀郷が、「敵を打つために力を貸してくれないか」とそこにいた男に頼まれます。承知した秀郷は竜宮に連れて行かれますが、そこで大百足に襲われます。彼が唾をつけて放った矢が百足の眉間に命中し、大百足は見事に退治されました。竜神はお礼に米が尽きない米俵を秀郷に与えました。これ以来、彼は「俵籐太(たわらのとうた)」と呼ばれることになったと云うことです。』

社号標
階段の参道
境内入口
社殿