新波(あらなみ)神社

秋田市雄和新波樋口16 (平成28年8月18日)

東経140度14分02.57秒、北緯39度31分26.86秒に鎮座。

この神社は、秋田空港の南8km程の辺り、樋口の街外れやまやま沿いに鎮座しております。

御祭神 大国主神・健御名方神・八阪刀売神・天照皇大神・少毘古那神・大山咋神・応神天皇・白山媛神・菅原道真

由緒
草創を大宝年間と言い伝え、養老5年再建、貞観3年慈覚大師再興、社運隆盛となったが永正9年堂宇回禄の災に遭い衰える。
永禄元年2月旅僧行栄法印巡錫深く本社に帰依しその別当となり、本地垂迹の説を以て不動尊と称しその名近隣に喧伝され社運再び起り、慶長11年最上義光の重将楯岡豊前守満茂が当地を支配するようになってから深く本社を崇敬した。
後、亀田領となり藩主岩城公代々の崇敬社となり、元禄10年8月社殿再建伊予守重隆公親しく参拝、数多くの奉納品をなしたが、以来一般の信仰も篤く享和元年隆恕公扁額奉納、万延元年隆政公参拝、田地400刈の貢米を寄進された。
明治3年8月新波神社と改称、明治5年2月郷社に列せられたがその後一般社格廃止となり無格社となったが、明治10年2月村社となり、明治23年9月社殿改築現在に及ぶ。
明治40年神饌幣帛料供進神社、明治41年白山神社、小高尾神社を同45年神明社、八幡神社、諏訪神社を合併、大正4年参篭所建築、同10年神社紋章制定、昭和2年社務所新築、同年6月17日郷社に列す。
秋田県神社庁公式サイト より。

由緒
新波神社は、社伝では大宝2年(702)創始石行(現大正寺小学校地)に荒波明神としてあったものを現在地に移したもので、亀田藩の崇敬社となり、旧社格は郷社であった。社殿は明治21年(1888)から3年がかりで松本銀蔵を棟梁として改築された。・・・・
境内由緒書き より。

参道入口

参道

参道左右の秋田型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

向拝の龍と木鼻の狛犬
屋根を支える力士達。拡大写真はこちら。
(明治21年(1888)建立)

本殿


不明