海椙(うすぎ)神社

常滑市大和6-17(平成21年11月21日)

東経136度50分23.84秒、北緯34度53分48.42秒に鎮座。

 この神社は155号線・大和信号より西にはいると約120mほどで北に参道入口があります。2008年に遷座されたばかりだそうで、私達の持っている県別地図にはこの新社地の掲載が無く、始めは旧社地に行ってしまいました。所が神社は跡形もなく、途方に暮れていると犬の散歩のご婦人が新社地の場所を教えてくださいました。
 神社は未だ社務所が建築中で入口は雑然とした感じが濃厚ですが、その他の参道・境内・社殿などは出来たてでとても綺麗に整い、しかも全てを新しくしたわけではなく旧社殿は境内社に利用されているようで、それも嬉しく感じました。又、この日当番で社務所に詰めていた方の説明によると、今は大きな木も無く、そういう意味では寂しい限りの境内ですが、50年・100年後の鎮守の杜の形成を考えて種が沢山紛れ込んでいる旧社地の土を境内の表土にしているそうです。

 御祭神:牛頭天皇(須佐之男命)、相殿:皇大神宮、蛭子神、高オ神
 祭礼日:1月・元旦祭(1日)、2月・稲荷祭(初午の日)、 祈年祭(11日、建国記念日)、3月・大々神楽式(春分の日)、4月・例祭(多屋区祭礼、第1土日曜日)、5月・ 寿賀祭、6月・大祓式(夏越えの祓い)、9月・三楠八幡社例祭(月見祭り)、10月・神田祭(体育の日)、11月・七五三、新嘗祭(23日)、12月・大祓式(30日)
 境内社:多賀社、住吉社、天神社、秋葉社、金比羅社、池鯉鮒社、御鍬社、山神社、山神八幡合祀
 由緒:当神社の始まりは、言い伝えによれば、大同元年(806)と伝えられ(神社遷宮史による)その後延喜3年(903)に祇園の牛頭天王(須佐之男命)を、祀らば悪疫収まらん」との、神のご託宣が降り、古字池田山の地に新殿を建立しました。
 その後は、海の守り神としてまた、災害の守り神として住民から深く崇敬され、現在は本殿に建速須佐之男命を、相殿に皇大神宮と蛭子神と高?神を合祀しております。
 社歴も千二百年と古く、また社格も旧「郷社」であります。また、社名も古くは「海洲鬼神社」と称しましたが、文政14年(1831)許可を得て、海椙神社と改称しました
 平成19年10月8日、常滑多屋土地区画整理事業により、長年鎮座した森西町の地より現在地に遷座したものであります。

社頭
社号標二基
 
参道の様子
参道途中にいる昭和10年生まれの岡崎現代型狛犬
(昭和10年(1935)11月建立)
境内入口 明神鳥居
境内の様子
拝殿前、文政7年生まれの浪速狛犬
吽には小さな突起が付く典型的な浪速狛犬です。尾の先は欠けていますが、全体的な保存状態は良好です。
狛犬の拡大写真はこちらで 
(文政7年(1824)甲申9月吉日建立)
平入り千鳥破風付きの大きく綺麗な拝殿
拝殿内の様子
修復された御神鏡
 
幣殿と本殿
境内社:三楠八幡神社
社殿は移転前の旧本殿とのことです。
 
合殿 左から
多賀社、住吉社、天神社、秋葉社、金比羅社、池鯉鮒社、御鍬社、山神社、山神八幡合祀
境内社:稲荷社
移転前の旧蛭子・蛇毒気神社殿とのことです。
 
御祭神御休所 御座石
 
遷座時に使用した御木曳き台車
 
旧海椙神社の佇まいと社殿
「海椙神社移転造営記念誌」より