常石(とこいし)神社

常滑市奧条7-23(平成21年11月21日)

東経136度51分19.07秒、北緯34度52分56.14秒に鎮座。

 この神社は247号線・奧条7信号から西にはいると約170m程で右側に参道入口が見えてきます。
 一の鳥居が建つ参道入口からは桜並木が140m程続き、大きな杜を背景にした社頭には大きな灯篭が奉納されています。少し石段を上がると二の鳥居が建ち、参道の途中には面白い常滑焼きの灰皿が置かれ眼を惹かれました。
 その後は境内まで石段参道となり、少し息を切らせながら境内に上がると、見事な佇まいを見せた静かで森厳とした光景が目に入ります。石垣の上に建立された拝殿前には三の台輪鳥居が建ち、どの社殿も大きく落ち着いた造りをしていました。
 社殿左には未だ新しい境内社が数社祀られ、左右には遥拝所が設けられています。本殿両脇にいた常滑焼きの狛犬さんは可愛くとても愛らしい子達です。

 御祭神:高皇産霊神、相殿:大山積命、菊理姫命
 祭礼日:4月第二日曜日
 境内社:金刀比羅社、山神社、白山社、砥鹿神社、御鍬社、秋葉社、津島神社、神明神社、天照皇大御神遙拝所、大和畝傍山神武天皇遙拝所天、明治神宮遙拝所、天神地祇八百萬神
 由緒:当神社は元の高宮権現と称し和州金峯山蔵王権現の勧請なり。御神体は第29代安閑天皇であったが、明治維新に際し神仏混淆を禁ぜられた結果、造化の三神高皇産霊神に改められた。此の神は天地初発の時高天原に居られた神で天照大神を助け八百萬神を指揮せられ、現世に姿を現さず 幽冥に居られた神である。
 常石神社の名称は尾張本国帳に「正二位常石神社」其の脇書に「常滑村高宮」と記されて居る物が最も古いとされ、此の書は元寇当時に出来たものである事から、当神社がそれ以前に既に正二位の待遇であった事が明らかである。
 当社の旧記に依れば古来より常滑の地に祀られ、瀬木の千代の峯に総社として崇められて居たが、後土御門天皇の御代明応3年(1494)3月現在の奥条7丁目の地に分離御遷座された。合祀の二神は大山積命(山神社)と菊理姫命(白山社)である。両社は徳磯52番地に鎮座されしを、明治44年10月本社に合祀された。

参道入口の台輪鳥居
紅葉が綺麗な桜並木の参道
社頭
参道途中に建つ二の明神鳥居
参道の様子
参道脇にあった面白い常滑焼きの灰皿
石段参道
境内入口
境内の様子
境内にいる昭和3年生まれの岡崎狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)1月建立)
拝殿前に建つ三の台輪鳥居
拝殿
拝殿内の様子
幣殿
本殿両脇にいる明治22年生まれの常滑焼き狛犬
やや上向きで潰れ顔、優しくて穏やかな可愛い狛犬です。作者の下田生素さんは通称を与七といい、この時代を代表する常滑焼きの名工のお一人だそうです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(下田生素作 明治22年(1889)建立)
本殿
本殿脇障子・唐獅子牡丹
 
合社左から:金刀比羅社、山神社、
白山社、砥鹿神社、御鍬社、秋葉社
境内社:津島神社、神明神社
社殿左側
天照皇大御神遙拝所、大和畝傍山神武天皇遙拝所入口に建つ神明鳥居
天照皇大御神遙拝所 大和畝傍山神武天皇遙拝所
社殿右側鎮守の杜の中に
明治神宮遙拝所 天神地祇八百萬神