窯神神社

瀬戸市窯神町112 (平成27年1月4日)

東経137度05分57.25秒、北緯35度13分32.86秒に鎮座。

この神社は、名鉄瀬戸線・尾張瀬戸駅の北500m程の辺り、磁祖公園の一画に鎮座しております。

御祭神 秋葉大権現・天満威徳天神・金毘羅大権現・丸窯神

由緒
元々は瀬戸に磁器の製法を伝えた加藤民吉の請願によって文政7年(1824年)に置かれた遥拝所で、御神体は民吉が所有していた菅原長親の筆による三神の掛軸であった。また、文政9年には民吉を「丸窯神」として合祀し、この頃に「窯神社」と改称したと推定されている。
1907年(明治40年)と1922年(大正11年)に改築。大正時代の改築では陶祖加藤景正を祀る陶彦社の旧社殿を移築したが、1925年(大正14年)5月20日に放火によって焼失している。
放火犯は加藤家縁故の人物で、各地で祀られる陶祖の施設に比べて窯神社が見劣りし、無くなれば建て替えられるであろうと期待してのものであったという。しかし大正から昭和初期にかけては瀬戸窯業が不振で建て替え費用が賄えず、ようやく社殿の再建が行なわれたのは1964年(昭和39年)になってからであった。
丸窯を模したコンクリート製の建物の中に桧造りの祠を祀る独特な形状は、当時の瀬戸市長・加藤章の発案によるものであるという。また、社殿の背後(北側)には陶土・珪砂の採掘場が広がる。
ウィキペディア より。

境内由緒書きはこちら。

参道入口

鳥居

境内入口

金網内の陶器製狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

拝殿前のブロンズ製狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和39年(1964)9月13日建立)

本殿

金網内の陶器製狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

加藤唐左衛門髙影翁頌徳碑