矢作神社

岡崎市矢作町字宝珠庵1(平成18年11月23日)

 この神社は岡崎市街地から国道1号線で矢作川を渡り、矢作川橋西信号で右折、土手の道を北上すると200mで左、土堤下に鎮座しています。郷社としては比較的小規模な神社ですが、歴史は古く、矢作川や矢作橋という名の元となった神社だそうです。

 御祭神:素戔嗚尊、豊受大神、保食神
 由緒:景行天皇の時代(315年頃)日本武尊は東夷征伐の折、軍神として素戔嗚尊を祀っていましたが、この地までくると地元民から賊の退治を依頼されました。そこで日本武尊は矢作部達に矢を作るよう命じましたが、竹は流れが速い川の中州にあり、矢作部達は到底竹の生えている中州まで行けませんでした。そこへ一匹の蝶が現れ人の姿となり竹を切り取ってきてくれたので、矢作部たちはこの竹を用いて1万本の矢を作り、賊を討ち果たしたと伝えられています。この矢竹の一部が矢作神社にある矢竹やぶで、この故事によりこの神社は矢作神社と呼ばれることになったと伝えられています。
 永保3年(1083)源義家が陸奥守として奥州征伐に向かう途中に、日本武尊の故事にならいこの矢作神社に参拝したと伝えられ、また新田義貞も建武2年(1335)、足利尊氏との戦で戦勝祈願を行ないました。その際神社の前にあった石が唸ったので、これを神の加護と信じて戦い、勝利を収めたといわれています。この時の石が「うなり石」と呼ばれ、矢竹とともに今でも祀られています。
 例祭:毎年10月1日、2日に大祭が開かれ、週末に重なる年は山車2台(岡崎市有形民俗文化財)の曳き回しが行なわれています。

社号標「郷社 矢作神社」 神社前矢作川の土堤から岡崎市街地を臨む
境内へは緩い下りの参道が続きます 境内入口の鳥居は基壇上にあり、
そこだけ階段の上り下りが造られています。
境内の様子 拝殿
本殿 日本武尊像
大正8年生まれの岡崎現代型狛犬
(大正8年10月建立)
境内社 境内社・秋葉神社
日本武尊縁の矢竹と
新田義貞縁のうなり石
磐坐?
市有形民俗文化財の山車、格納庫